弟が亡くなって1年。
これまでも祖父母や大学の先生など、親しかった人が亡くなる度に喪失感は抱いてきたけれど、弟が亡くなるというのは、想像以上にポッカリ何かが心からなくなるね。
正直、そこまで頻繁に会う姉弟ではなかった。顔を合わせるのも年に2回くらい。それも親戚の集まりや新年の集いで会うくらい。日頃からプライベートの悩みを交わすでもなかったから、しかし、だからこそ心の喪失感に自分でも少し驚いている。
不在になってから以降、ますますその存在感を際立たせるというのも、なかなかやるな……弟よ。
ふとした拍子に、かつてお互い読んでいた漫画がアニメ化やドラマ化されたりすると、つい「ねえ、見た?」と連絡したくなる。これまた最近は昭和や平成の作品のコンテンツ化が多い。
そして気づく。
「あぁ、弟はいないんだなぁ」と。
そして思う。
「自分もいつかはいなくなるんだなぁ」という当然の事実を。
こうして何とはなしに眺めている青空も、コスモスのピンクも、鳥のつんざき声も、太陽の絶妙な感じの差し込み具合も、疲れ切った子どもたちが川っぺりをとぼとぼ歩いている光景も、相も変わらず手を握ってきてくれる子どものぽちゃぽちゃとした手をムニムニするのも、今だけに許された特権なんだと思うと……、要するに、「今は永遠じゃないんだな」という当然すぎることに気づくわけです。
そうね、当たり前だけど、いつか私の世界は終わるんだよね。
私がいなくなっても世界は続いていくが、「私の世界」は終わる。心臓が、脳が、その機能を停止した瞬間に、恐怖も喜びも痛みも疲れもなくなり、音も暑さも寒さも光も肌触りも、要するに「世界」を感知する能力は全てゼロになる。
そのゼロになる瞬間まで、しっかり、がっつり、生きようと思う。
いや,ほんと。いつも以上にオチのない雑感だけど、ちゃ〜んと「生ききったな!」と思って、「私の世界」を終えられるように、ちゃんと生きよう。
少なくとも,生きた時間はすでに私の方が長いが,密度と交友関係の広さと深さだけを見たら,私が100歳まで生きても,きっと弟には叶わないことも、弟が亡くなってわかったよ。
いや,すごいよ,君は。
いなくなってなおのこと,偉業を見せつけてくれるよね。


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