2024年10月23日水曜日

ライターを続けるための最低条件。

 



ずっとライターと呼ばれる職業を続けてきているけれど、ふと最近、何歳まで「ライター」を続けられるんだろうと、疑問に思った。

少し前までは「若さ」(編集者よりだいぶ年上のライターは使いづらいだろう)とか、「好奇心」(いつも新しいことを知れるワクワクがないとダメだろう)とか、「身ぎれいさ」(疲れてぼさぼさのライターは連れて歩きたくないだろう)とか、つらつら思ってはきた。

もちろんもっとまじめに「向上心」とか「語彙力」とか「頭の良さ」とか「賢さ」とかもあるけれど、それらは「ライターを続ける」というよりも、「ライターになる」ための条件であって、かつ自分にそれがあるのかと考えるとアーーーっと叫びたくなるので考えないようにしている。

でも最近はもっとシンプルに、ライターを続けるための条件とは,「視力」と「体力」なんじゃないかと思い始めてきた。

「視力」が霞んだら、何千、何万もの文字を見続けることはできないし、「体力」が衰えたら、集中力も好奇心も学習意欲もすべて停滞する。そもそも、腰痛がひどくなれば椅子に座っていることすらできない。

ということに気づき始めたのは,私の目がしょぼしょぼと霞み初め、デスクに向かって3時間もすると異様に集中力がなくなってきているから,に他ならず。。

まずは、日々にテクテク散歩を取り入れますかね。

というか、全然「ライター」と関係ない、、むしろ「日常生活」を続けるための、条件。だったね。


2024年10月16日水曜日

弟がいない。

 弟が亡くなって1年。

これまでも祖父母や大学の先生など、親しかった人が亡くなる度に喪失感は抱いてきたけれど、弟が亡くなるというのは、想像以上にポッカリ何かが心からなくなるね。

正直、そこまで頻繁に会う姉弟ではなかった。顔を合わせるのも年に2回くらい。それも親戚の集まりや新年の集いで会うくらい。日頃からプライベートの悩みを交わすでもなかったから、しかし、だからこそ心の喪失感に自分でも少し驚いている。

不在になってから以降、ますますその存在感を際立たせるというのも、なかなかやるな……弟よ。

ふとした拍子に、かつてお互い読んでいた漫画がアニメ化やドラマ化されたりすると、つい「ねえ、見た?」と連絡したくなる。これまた最近は昭和や平成の作品のコンテンツ化が多い。

そして気づく。

「あぁ、弟はいないんだなぁ」と。

そして思う。

「自分もいつかはいなくなるんだなぁ」という当然の事実を。


こうして何とはなしに眺めている青空も、コスモスのピンクも、鳥のつんざき声も、太陽の絶妙な感じの差し込み具合も、疲れ切った子どもたちが川っぺりをとぼとぼ歩いている光景も、相も変わらず手を握ってきてくれる子どものぽちゃぽちゃとした手をムニムニするのも、今だけに許された特権なんだと思うと……、要するに、「今は永遠じゃないんだな」という当然すぎることに気づくわけです。

そうね、当たり前だけど、いつか私の世界は終わるんだよね。

私がいなくなっても世界は続いていくが、「私の世界」は終わる。心臓が、脳が、その機能を停止した瞬間に、恐怖も喜びも痛みも疲れもなくなり、音も暑さも寒さも光も肌触りも、要するに「世界」を感知する能力は全てゼロになる。

そのゼロになる瞬間まで、しっかり、がっつり、生きようと思う。

いや,ほんと。いつも以上にオチのない雑感だけど、ちゃ〜んと「生ききったな!」と思って、「私の世界」を終えられるように、ちゃんと生きよう。

少なくとも,生きた時間はすでに私の方が長いが,密度と交友関係の広さと深さだけを見たら,私が100歳まで生きても,きっと弟には叶わないことも、弟が亡くなってわかったよ。

いや,すごいよ,君は。

いなくなってなおのこと,偉業を見せつけてくれるよね。




2024年10月8日火曜日

紅白曼殊沙華




朝が苦手な私にしては珍しく早起きをして、早朝散歩。

朝散歩だけで自画自賛の身としては、朝5時半にしてすでに結構な人が活動しているのを見て、ちょっと驚く。犬の散歩、自分の散歩、ランニング、野球の練習。なんだなんだ、皆さんえらいのね。

草むらで、バッキバキに凝り固まった体をほぐすために、グルグルとラジオ体操のいいとこどり(ええ、その後、2日ほど筋肉痛で苦しみましたとも……)。

川沿いには紅白の曼殊沙華が咲き、土手にはピンクのコスモスが咲き乱れ、川の中にはアオサギ・シロサギの姿も見える。大好きだった絵本『花さき山』(斎藤隆介作・滝平二郎絵・岩波書店)を思い出しながら、パシャリ。

ちなみに調べてみたら、曼殊沙華は別名で、よく使われているのは、彼岸花のほうらしい。

学名はリコリス・ラジアータ。そういえば昔、花屋で働いていた頃、「今日は彼岸花が入荷するよ」といわれて楽しみにしていたら、洋風のリコリスでがっかりしたことがあったなぁ。



さらにちなみに、赤い曼殊沙華に混ざった白い姿も可憐でいいものだが、あれはどうも色素形状異常で、しかも除草剤の影響らしいという、なんともムードゼロの情報を知ってしまう。

うん、世の中、知らなくていい知識って、あるよね。

そんなこんなで、年に一回あるかないかの奇跡の早朝散歩から帰ってたら、子どもたちが「朝ごはんまだー?」と騒いでいましたとさ。