2024年12月16日月曜日

紅葉の12月


温暖化のせいなのか、夏が長く、秋が遅く、温かい日が続いた11月、12月。

樹々が色づくのが遅かったため、温かい秋をのんびり楽しんでいるうちに、気づけば師走??

ヤバい、仕事が!と焦りつつ、ふと外を見ると、順調に色付いていた紅葉が、散りもせず、チリチリに干からびて枝に張り付き、全体的にくすんだ赤茶色になっていることに気づく。昨年までは「黄色」「緑」「真っ赤」のコントラストが目にも鮮やかだったのに、今年は「オレンジ」「くすんだ緑」「こげ茶」と、イマイチパッとしない。

今年だけならいいが、よもや30年後には、「ばあばが小さい頃はね、秋は黄色に赤に色とりどりの紅葉を楽しめたものよ」な~んて、言っていたらどうしよう。

現に、いま私は子どもたちに「ママの子どもの頃はね、冬にはつららが家にできて、地面には霜が降り、学校の中休みには雪合戦や雪だるま、鎌倉づくりをしていたものだよ」と語っている。

いずれ真夏の猛暑とは40度のことを指す、という地球になった時、日本から四季の移ろいが消えてしまうことだってあり得るわけで……。

先日俳人の取材で、「半世紀前までは、歳時記通りの四季を体感できたが、今は死語になった季語も多い」という話を聞いたばかり。


そんなことを思いつつ、気づけばあと半月で2024年も終わる。

来年はどんな一年になるのだろう。



2024年11月25日月曜日

思わぬ代休。近所でまったり




 小学生の子ども2人が、月曜日は家にいるという。

土曜日が音楽発表会だったから、その代休なそうな。

そんな日には、2人にスペシャルな一日でもプレゼントしてあげたいが、大抵「代休」なんでことは頭からスッ飛んでいるので、今日も当日の朝になって、「仕事もあるしな……」と。

せめてPCとシートをもって、歩いて1分の野原にピクニック。のんびりコーヒー飲んで、パン食べて、寝転がって空を眺め、2人が将来やってみたいという「日本史体験型テーマパーク」の構想を聞き、その後私はPC開いて原稿の構想を練り、2人は大好きな日本史の小ネタを言いながら参考書を眺め。


日が傾いていくたびにレジャーシートを日向に移動させながら、そろそろ肌寒くなってきたころ合いを見計らい、近所のご飯屋さんに。

ヴィーガン料理を出してくれるお店、小6娘は、「ヴィーガン、素敵!食べてみたかったんだ」とかなんとか。

大豆ミートのから揚げ南蛮漬けの日替わり定食と、

さつまいもとトウモロコシ・豆のココナッツカレーでランチ。

スペシャルなことはできなかったけど、ご近所でプチ非日常感を。こんな一日も、将来振り返ったらよい思い出になるよね。

さてさて、家に帰って本格的に仕事を……と思う頃には、そろそろ眠い。。ムニャムニャ。




2024年10月23日水曜日

ライターを続けるための最低条件。

 



ずっとライターと呼ばれる職業を続けてきているけれど、ふと最近、何歳まで「ライター」を続けられるんだろうと、疑問に思った。

少し前までは「若さ」(編集者よりだいぶ年上のライターは使いづらいだろう)とか、「好奇心」(いつも新しいことを知れるワクワクがないとダメだろう)とか、「身ぎれいさ」(疲れてぼさぼさのライターは連れて歩きたくないだろう)とか、つらつら思ってはきた。

もちろんもっとまじめに「向上心」とか「語彙力」とか「頭の良さ」とか「賢さ」とかもあるけれど、それらは「ライターを続ける」というよりも、「ライターになる」ための条件であって、かつ自分にそれがあるのかと考えるとアーーーっと叫びたくなるので考えないようにしている。

でも最近はもっとシンプルに、ライターを続けるための条件とは,「視力」と「体力」なんじゃないかと思い始めてきた。

「視力」が霞んだら、何千、何万もの文字を見続けることはできないし、「体力」が衰えたら、集中力も好奇心も学習意欲もすべて停滞する。そもそも、腰痛がひどくなれば椅子に座っていることすらできない。

ということに気づき始めたのは,私の目がしょぼしょぼと霞み初め、デスクに向かって3時間もすると異様に集中力がなくなってきているから,に他ならず。。

まずは、日々にテクテク散歩を取り入れますかね。

というか、全然「ライター」と関係ない、、むしろ「日常生活」を続けるための、条件。だったね。


2024年10月16日水曜日

弟がいない。

 弟が亡くなって1年。

これまでも祖父母や大学の先生など、親しかった人が亡くなる度に喪失感は抱いてきたけれど、弟が亡くなるというのは、想像以上にポッカリ何かが心からなくなるね。

正直、そこまで頻繁に会う姉弟ではなかった。顔を合わせるのも年に2回くらい。それも親戚の集まりや新年の集いで会うくらい。日頃からプライベートの悩みを交わすでもなかったから、しかし、だからこそ心の喪失感に自分でも少し驚いている。

不在になってから以降、ますますその存在感を際立たせるというのも、なかなかやるな……弟よ。

ふとした拍子に、かつてお互い読んでいた漫画がアニメ化やドラマ化されたりすると、つい「ねえ、見た?」と連絡したくなる。これまた最近は昭和や平成の作品のコンテンツ化が多い。

そして気づく。

「あぁ、弟はいないんだなぁ」と。

そして思う。

「自分もいつかはいなくなるんだなぁ」という当然の事実を。


こうして何とはなしに眺めている青空も、コスモスのピンクも、鳥のつんざき声も、太陽の絶妙な感じの差し込み具合も、疲れ切った子どもたちが川っぺりをとぼとぼ歩いている光景も、相も変わらず手を握ってきてくれる子どものぽちゃぽちゃとした手をムニムニするのも、今だけに許された特権なんだと思うと……、要するに、「今は永遠じゃないんだな」という当然すぎることに気づくわけです。

そうね、当たり前だけど、いつか私の世界は終わるんだよね。

私がいなくなっても世界は続いていくが、「私の世界」は終わる。心臓が、脳が、その機能を停止した瞬間に、恐怖も喜びも痛みも疲れもなくなり、音も暑さも寒さも光も肌触りも、要するに「世界」を感知する能力は全てゼロになる。

そのゼロになる瞬間まで、しっかり、がっつり、生きようと思う。

いや,ほんと。いつも以上にオチのない雑感だけど、ちゃ〜んと「生ききったな!」と思って、「私の世界」を終えられるように、ちゃんと生きよう。

少なくとも,生きた時間はすでに私の方が長いが,密度と交友関係の広さと深さだけを見たら,私が100歳まで生きても,きっと弟には叶わないことも、弟が亡くなってわかったよ。

いや,すごいよ,君は。

いなくなってなおのこと,偉業を見せつけてくれるよね。




2024年10月8日火曜日

紅白曼殊沙華




朝が苦手な私にしては珍しく早起きをして、早朝散歩。

朝散歩だけで自画自賛の身としては、朝5時半にしてすでに結構な人が活動しているのを見て、ちょっと驚く。犬の散歩、自分の散歩、ランニング、野球の練習。なんだなんだ、皆さんえらいのね。

草むらで、バッキバキに凝り固まった体をほぐすために、グルグルとラジオ体操のいいとこどり(ええ、その後、2日ほど筋肉痛で苦しみましたとも……)。

川沿いには紅白の曼殊沙華が咲き、土手にはピンクのコスモスが咲き乱れ、川の中にはアオサギ・シロサギの姿も見える。大好きだった絵本『花さき山』(斎藤隆介作・滝平二郎絵・岩波書店)を思い出しながら、パシャリ。

ちなみに調べてみたら、曼殊沙華は別名で、よく使われているのは、彼岸花のほうらしい。

学名はリコリス・ラジアータ。そういえば昔、花屋で働いていた頃、「今日は彼岸花が入荷するよ」といわれて楽しみにしていたら、洋風のリコリスでがっかりしたことがあったなぁ。



さらにちなみに、赤い曼殊沙華に混ざった白い姿も可憐でいいものだが、あれはどうも色素形状異常で、しかも除草剤の影響らしいという、なんともムードゼロの情報を知ってしまう。

うん、世の中、知らなくていい知識って、あるよね。

そんなこんなで、年に一回あるかないかの奇跡の早朝散歩から帰ってたら、子どもたちが「朝ごはんまだー?」と騒いでいましたとさ。



2024年8月5日月曜日

清里フィールドバレエ2024


「 清里フィールドバレエ」に今年も乗り込む。

昨年は「くるみ割り人形」。今年は「白鳥の湖」。

今年で35周年にもなるという国内でも珍しい夏の夜の野外バレエコンサート。昔も一度来て、その時も確か、「白鳥の湖」だった気がする。満天の星空の下、うっそうとした森を背景に、白鳥たちが踊るさまは幽玄で、最後のオデットの身投げシーンも迫力たっぷり。



今年は家族と両親と。萌木の村で、地ビールやウィンナやカレーを味わい、5歳児はメリーゴーランドを楽しみ、ロック好きな夫はロックTシャツを買い、娘は手芸ワークショップで刺しゅうを教えてもらい、私は植物の種やらを買い込み、息子はどでかいオニヤンマに興奮し。いろんな世代や性別ごとに楽しめるのも嬉しい。

夜19時から開演。刻一刻と薄暗くなっていく森を背景に、王子の王宮シーンと2幕の白鳥のシーンを見て休憩……のちの、突然の豪雨‼。で、中止(涙)。

まぁ、これも野外ならでは……よね。残念がる観客らにせめてもの手向けとばかりに、盛大な打ち上げ花火を堪能してから、ぐっしょり濡れてペンションに。

これもまた、夏の思い出。

来年もぜひ、リベンジしたい。



避暑地へのあこがれ

 

家族ができてから、もっぱら旅行は国内オンリー。それも決まった宿に数年おきに訪れることが増えた。

旅は予期せぬ出会いに溢れ、それも楽しいものだが、いかんせん幼い子連れでアクシデントは勘弁。ということで、今年も蓼科にレッツゴー。

酷暑・地球沸騰の文字が脳内を巡る都内を離れ、山に向かう。5年前はもっと涼しかった気がするが、それでも朝夕のさわやかな空気にしばし癒される。

BBQ、プール遊び、アスレチック、魚釣り、魚焼き、温泉、散歩。

四六時中、仕事のことばかり考え、子どもそっちのけで生活していたのが一転。子どもたちとのんびり寝て起きて食べて遊んで昼寝して湯を浴びてご飯を食べて。。

「俺がいなくても世の中は不具合なく回るんだな……」とつぶやく夫に深くうなずく。

「そういえば、ママ、旅に出てからずっと怒っていないよね。なんで?」と小6娘。

「なんで」ですと?

「なぜなら、旅ではご飯作らなくていいし、部屋の片づけしなくていいし、洗濯しなくていいし、買い物しなくていいし、風呂を洗わなくていいし、君らの学校や塾のアレコレをしなくていいし、習い事の送迎しなくていいし、仕事もしなくていいからだよ!」と怒涛のように答えると、

「へ~。それだとママはそんなに機嫌いいんだ」とのんびりした答え。

ちょっとイラ。でも、そういうことよね。

だから母が、「いいわね、ここに別荘持ちたいわね」というたびに、「管理人とお手伝いさんも一緒に雇えるようになったらね」と追加する。

避暑地まで来て、結局自宅でやっている雑事を全部自分がこなさなくてはならないなら、それは全然楽やない。

あ~あ、こんなところに自主缶詰して仕事できたら、どんなにはかどるだろうかと妄想する。ご飯も全部出てきて、部屋のメーキングもしてもらえて、疲れたら温泉いって地ビール呑めて。天国かよ。



2024年6月19日水曜日

短距離走の雑誌記事はまあまあ得意だが、長距離走の書籍構成は……、毎回シヌ。

 長距離走は嫌いです。

短距離走も嫌いだけど、長距離走はもっと嫌い。

走っても走ってもゴールが見えない。

そもそも走るのも遅いから、なかなかゴールが見えない。


その感覚を、書籍構成をやるといつも思い出す。

ちんたら走っているから、なかなか終わらない。

すぐに休憩したくなるから、なおさら終わらない。

なかなか終わらないうちに、いい加減飽きてくる。

なぜ走り続けなくてはいけないのか、本当に意味が分からなくなる。

これが自分の本なら……、チョットは違うのだろうか。

ゴーストライターというのは、やりがいと労力と報酬が見合っていない気がしてならない……。のは、やはり3人子育て真っ盛りなのに、書籍構成なんかを引き受けるからだろうか。

嗚呼、オワラナイ……。

終わらなさ過ぎて、「いつ完成するんですか!」と優しい編集者が鬼のように怒る夢を見て、ネムレナイ……夜を過ごした。

今週中に、オワリタイ。

が、明後日〆切の別の仕事もハイッテイル。。。

ああ、、、脳みそがフリーズする。