2023年7月6日木曜日

「わたし」になる。


 友人と1年ぶりくらいのランチ。

定期的に会い、お互いの近況報告などを。

彼女とは出会って15年……くらいになるかしら? 

適度な距離感のお付き合いは、「友人」と「仕事相手」との中間くらいの絶妙な感覚。親しみと、尊敬と、驚きと、共感と、どこか目標も混ざっている。

どこかしら自分と似た部分もあるからこその「共感」なんだろうけれど、あらゆる部分でレベル違いのパワーと魅力を兼ね添えた人なので、「尊敬」「驚き」「目標」が入る。

「目標」といっても、歩む道が違う。目指す場所も違う。歩み方も全然違う。

でも、常に「目標」を掲げ、「こうなったらいいな」と強いビジョンを持って力強く歩んでいく姿は、見事。

私もかつてはその片鱗があった気がする。独身で、若くて、元気があり、未来は全て自分の思い通りになる……までは思っていなかったか、思っていたか……。

世界征服レベルの「目標」ではない、行きたい場所で、したいことを、自由にしたいというのが、私のささやかなる野望。それくらいの「目標」は掲げて生きていた気がする。

結婚・出産・育児の10年間で、どうもそのパワーも、先を見る力も、望む力も、みなぎる闘志も消え失せていた。ほぼ育児と目の前の仕事に忙殺されて、一日の終わりに、ひたすら痛む体をさすりながらベッドに横たわるのがやっと。

ということを、過去のこのブログの日記を読んで思い出した。

そうだよね、私はもっと元気だったよね。

もっと自分の人生を歩んでいたよね、と。


結婚・出産・育児の10年間は、私の大切な生きた証、時間。やり直したいなんて思わない。だけど、「誰かのため」に生きるタームは、そろそろ次の段階に行く頃かな。

なんというか、このままの生活を続けていては、いつか誰かのせいにしてしまう気がする。

「あなたのために」「あなたたちのために」私はこんなに自分を犠牲にしてきたのよと。

いや、全然犠牲にしてないけどね……。

かなり自分のやりたいことは優先してきたけどね。

家事と育児と仕事だったら、仕事を最優先してきたし、そのおかげで、仕事のレベルはだいぶ上がったと思う。単価も、内容の面白さも、取材相手のランクも。

あのまま、育児を最優先して、仕事をしてこなかったら、今の私はなかったと思うから、その意味では、旦那さんに母にも子供にも感謝している。

……が、もっとだ。

もっと、もっとだ。

もっと、私は「わたし」になりたい。

家事、育児は子どもがいるからやっているけれど、もし子どもがいなくても、私一人だったとしても、というか私一人だからこそ、「やる」だろうことを、やっていきたい。

「子どもがいるから、無理」は、ある時期まで事実だけど、これから以降は「しない」理由、体のいい言い訳になっていく気がする。

もはやわが家に、乳幼児はいない。

それぞれ、将来好きな道に進めるよう、種まきはしてきたと思う。

これ以降は、もう私がやいのやいの言わずに、自律、自走していくことが可能ではないか。


中学受験か、高校受験か。

勉強か、芸能か。

ピアノか、絵画か。

水泳か、剣道か。

都会か、自然か。

療育か、定型児への教育か。


私はもう、さんざん悩み尽くしてきたし、行動しつくしてきたし、試し続けてきた。

もう、そろそろいいだろう、と思う。

もう、そろそろ追加、追加は、いいだろう。

これから先は、本人が望めば、どこからか情報を取ってきて、自分に必要かどうか判断するはず。そのための、読む力、聞く力、自分を知る力、外界に対して興味を持つ力をこれまで育んできたつもりだ。片りんだとしてもね。


「子どものため」は恐ろしい言葉だ。

「子どものおかげ」にも、「子どものせい」にも、なってしまう。

「〇〇のため」という感情は、それが自分の思い通りにいかなかったときに、ブーメランのように、わが身と「〇〇」本人をも傷つける。


「あなたのため」に「我慢」している。は、危険。「ちゃんとせねば」という優等生発想も危険だ。しかも、「我慢」も「~のため」も「ちゃんとする」も、私の三大苦手じゃないか。

我慢は嫌い。好きなことしかしたくない。誰かのためにとか、無理。気も遣えないし、人一倍のんびり屋なので、マイペースでしか歩めない。早生まれでのんべんだらりと向上心もなく生きてきたし、組織嫌いで、根っからのフリーランス気質の私には、一番苦手なこと。

なんてこった。こんなに苦手なことを、私は10年間もやり続けてきたのか。

そりゃ、イライラもするよね。

デキもしないことを、がんばって、やっぱりできないと罪悪感と劣等感をもち、それでもやっぱり「いい母親」「いい人」「仕事できる人」として見られたいと、背伸びをし続けた10年間。そりゃ疲れるわ。老いもするわ。太りもするわ。……は、関係ないか(笑)。


だから、もっとだ。

もっと、もっと。

もっと、私は「わたし」を開放したい。

自堕落で、のんびりで、ちゃんとしていなくて、自分本位で、自分の未来が一番関心あって、行きたいところに行って、見たいものを見て、感じたいものを感じて、したいことをして、書きたいことを書いて、そんな「わたし」に、再びなりたい。


……ということを、要は彼女に会って、改めて自覚した、という話。


「子育て」も「ライター」仕事も、外へ外へ、他者へ他者へ、入り込んでいく作業だ。

そこは持ちつつも、反対に、内へ内へ、自分へ自分へ、入り込んでいく作業を、この1年はしていきたい。かつての「わたし」を取り戻すための、まずはリハビリ。


0 件のコメント: