2023年7月24日月曜日

夏の早朝散歩

 




朝はひたすら寝続ける私。

この日はたまたま4時半起き。

顔を洗い、歯を磨き、コーヒーを淹れてPCを立ち上げる。

が、ふと思い直す。

せっかく早起きしたのだもの。

この辺りを早朝散歩したら、どれだけ気持ち良かろうと思っていたことを実現するチャンスでは?

猛暑続きの毎日。さすがに4時半はまだ涼しい。


坂を下ると、鳥の声、蝉の声、虫の声、カラスの声。

驚いたのは、結構みんなフツーに散歩していること。高齢者の方が多いかしら。生活の知恵?

でも、虫取り網持って走ってる小学生の姿もあるね。みんなこの時間の良さをとっくに知ってたのね。


ひとり、黙々と歩く。

コーヒー持って来て、川縁で早朝読書なんかしたら、気持ちよさそう。

とりあえず今度は、朝露に負けないスニーカーで来よう。




2023年7月16日日曜日

金継ぎ

 


金継ぎを習い始めておよそ半年。

第1号、2号がやっとのご帰還。

長かった〜。まぁ、仕事の合間を縫って月1.2回。それでも一回5時間くらいは作業しての半年。

楽しいけれど、長かった〜。


今回の萩焼の器は、毎日の食事に登場するお馴染みの器。金でカッコよく!よりも、静かにひっそりと銀で、仕上げてみたかった。夏だしね。

最近シルバーづいて、バッグも靴もシルバーな私。その勢いで器もシルバーを蒔いたけど、なかなかお気に入り。

かかった手間隙を考えると、壊す前より大切に使っていきたいなと思うよね。




さぁ、次は何の器に手をつけようか



2023年7月9日日曜日

夏の夜の香り

 


深夜0時。

夜は思考力が0を通り越してマイナスに突入するので、基本仕事はしないと決めているが、明日は日曜日。子どもたちの付き添いでどうせ一文字も書けまい。


締め切りは迫る。

次の仕事の参考図書は読めてない。

今月〆切の書籍原稿は、一文字も書いてない。

次の書籍用の質問案も、まるっきり考えてない。

子どもたちの夏休み(仕事ができない!) は迫る。。。


そんな梅雨終わりかけの初夏の夜の香り。

開けた窓から、森林の香りが漂ってきて、気持ち良い。

2023年7月6日木曜日

「わたし」になる。


 友人と1年ぶりくらいのランチ。

定期的に会い、お互いの近況報告などを。

彼女とは出会って15年……くらいになるかしら? 

適度な距離感のお付き合いは、「友人」と「仕事相手」との中間くらいの絶妙な感覚。親しみと、尊敬と、驚きと、共感と、どこか目標も混ざっている。

どこかしら自分と似た部分もあるからこその「共感」なんだろうけれど、あらゆる部分でレベル違いのパワーと魅力を兼ね添えた人なので、「尊敬」「驚き」「目標」が入る。

「目標」といっても、歩む道が違う。目指す場所も違う。歩み方も全然違う。

でも、常に「目標」を掲げ、「こうなったらいいな」と強いビジョンを持って力強く歩んでいく姿は、見事。

私もかつてはその片鱗があった気がする。独身で、若くて、元気があり、未来は全て自分の思い通りになる……までは思っていなかったか、思っていたか……。

世界征服レベルの「目標」ではない、行きたい場所で、したいことを、自由にしたいというのが、私のささやかなる野望。それくらいの「目標」は掲げて生きていた気がする。

結婚・出産・育児の10年間で、どうもそのパワーも、先を見る力も、望む力も、みなぎる闘志も消え失せていた。ほぼ育児と目の前の仕事に忙殺されて、一日の終わりに、ひたすら痛む体をさすりながらベッドに横たわるのがやっと。

ということを、過去のこのブログの日記を読んで思い出した。

そうだよね、私はもっと元気だったよね。

もっと自分の人生を歩んでいたよね、と。


結婚・出産・育児の10年間は、私の大切な生きた証、時間。やり直したいなんて思わない。だけど、「誰かのため」に生きるタームは、そろそろ次の段階に行く頃かな。

なんというか、このままの生活を続けていては、いつか誰かのせいにしてしまう気がする。

「あなたのために」「あなたたちのために」私はこんなに自分を犠牲にしてきたのよと。

いや、全然犠牲にしてないけどね……。

かなり自分のやりたいことは優先してきたけどね。

家事と育児と仕事だったら、仕事を最優先してきたし、そのおかげで、仕事のレベルはだいぶ上がったと思う。単価も、内容の面白さも、取材相手のランクも。

あのまま、育児を最優先して、仕事をしてこなかったら、今の私はなかったと思うから、その意味では、旦那さんに母にも子供にも感謝している。

……が、もっとだ。

もっと、もっとだ。

もっと、私は「わたし」になりたい。

家事、育児は子どもがいるからやっているけれど、もし子どもがいなくても、私一人だったとしても、というか私一人だからこそ、「やる」だろうことを、やっていきたい。

「子どもがいるから、無理」は、ある時期まで事実だけど、これから以降は「しない」理由、体のいい言い訳になっていく気がする。

もはやわが家に、乳幼児はいない。

それぞれ、将来好きな道に進めるよう、種まきはしてきたと思う。

これ以降は、もう私がやいのやいの言わずに、自律、自走していくことが可能ではないか。


中学受験か、高校受験か。

勉強か、芸能か。

ピアノか、絵画か。

水泳か、剣道か。

都会か、自然か。

療育か、定型児への教育か。


私はもう、さんざん悩み尽くしてきたし、行動しつくしてきたし、試し続けてきた。

もう、そろそろいいだろう、と思う。

もう、そろそろ追加、追加は、いいだろう。

これから先は、本人が望めば、どこからか情報を取ってきて、自分に必要かどうか判断するはず。そのための、読む力、聞く力、自分を知る力、外界に対して興味を持つ力をこれまで育んできたつもりだ。片りんだとしてもね。


「子どものため」は恐ろしい言葉だ。

「子どものおかげ」にも、「子どものせい」にも、なってしまう。

「〇〇のため」という感情は、それが自分の思い通りにいかなかったときに、ブーメランのように、わが身と「〇〇」本人をも傷つける。


「あなたのため」に「我慢」している。は、危険。「ちゃんとせねば」という優等生発想も危険だ。しかも、「我慢」も「~のため」も「ちゃんとする」も、私の三大苦手じゃないか。

我慢は嫌い。好きなことしかしたくない。誰かのためにとか、無理。気も遣えないし、人一倍のんびり屋なので、マイペースでしか歩めない。早生まれでのんべんだらりと向上心もなく生きてきたし、組織嫌いで、根っからのフリーランス気質の私には、一番苦手なこと。

なんてこった。こんなに苦手なことを、私は10年間もやり続けてきたのか。

そりゃ、イライラもするよね。

デキもしないことを、がんばって、やっぱりできないと罪悪感と劣等感をもち、それでもやっぱり「いい母親」「いい人」「仕事できる人」として見られたいと、背伸びをし続けた10年間。そりゃ疲れるわ。老いもするわ。太りもするわ。……は、関係ないか(笑)。


だから、もっとだ。

もっと、もっと。

もっと、私は「わたし」を開放したい。

自堕落で、のんびりで、ちゃんとしていなくて、自分本位で、自分の未来が一番関心あって、行きたいところに行って、見たいものを見て、感じたいものを感じて、したいことをして、書きたいことを書いて、そんな「わたし」に、再びなりたい。


……ということを、要は彼女に会って、改めて自覚した、という話。


「子育て」も「ライター」仕事も、外へ外へ、他者へ他者へ、入り込んでいく作業だ。

そこは持ちつつも、反対に、内へ内へ、自分へ自分へ、入り込んでいく作業を、この1年はしていきたい。かつての「わたし」を取り戻すための、まずはリハビリ。