2021年12月22日水曜日

ビッグイシューの10円


 地元を自転車で走行中、雑誌『ビッグイシュー』の販売員さんを発見。

「あれ~、ひさしぶりじゃない。最近見かけないね、元気?」

と覚えてくれていた模様。

「今日はお子さんいないの~?」

とひとしきり雑談した挙げ句、一冊買おうとしたら、、、財布にお金がない!

450円の雑誌なのに、小銭かき集めても440円……。

「いいよ、いいよ10円おまけしておくから」


ホームレスのおじちゃんに10円を恵んでもらう。。

ごめん、おじちゃん、今度必ず次号を買いがてら、お返しします!




2021年12月13日月曜日


 秋のある朝、起きたらものすごい幸福感に包まれた。

相変わらず隣で寝ている2歳娘の腕枕となった左腕は、ジンジンを通り越して感覚も失われていたけれど、家族は元気で、仕事も順調。

「あ~、幸福だなぁ……」

思えば現在8歳になる娘の妊娠・誕生からこっち、ほとんど休む間もなく、身体も精神も張りつめてきた気がする。

寝ない長子をひたすら24時間抱っこし続け、夜中の3時に東大を歩き、2番目の喋らぬ子を病院に連れていき、仕事と幼稚園と療育と習い事の往復に、一日中自転車を走り回らせていた。

渦中にいたころは、あまり「大変」とも思っていなかったけれど、気づけば帯状疱疹になり、原因不明の発疹と異様なかゆみに1年間悩まされ、これまた原因不明の肺炎状態が半年続き、3番目の妊娠期には妊娠糖尿病になり、幼稚園の卒対・妊娠・出産・連載インタビューの構成が重なるというあり得ない事態を通過して、気づけば9年……。

いろいろなことが、なんとなく収まるところにおさまって、ホッと一息ついて

「幸せだな~」

……という実感は、たった一日で、驚愕の報告メッセージにより打ち破られた。


だが、それでも今現在、私が幸せなことには変わりない。

いろいろな状況は激変しつつあるが、それでもこの日の幸せを忘れず、しっかり歩んでいきたいと決意する12月。


2021年11月29日月曜日

国名

 


ある子どもスクールで、「世界と歴史を知ろう!」の授業。


先生:みんな、歴史ってなにかな? 知ってる?

息子:はい! 恐竜とか、進化とかです!

先生:いいね! じゃあ、国は? どんな国があるかな?

息子:はい! おもちゃの国です!


なかなかいい味出してる、6歳息子。

いいぞ、その勢いで生きてくれ!



2021年11月19日金曜日

紅葉のブルーベリー

 


取材で新幹線に乗り、ブルーベリー農園へ。

ブルーベリーの木を初めて見る。
葉はツヤツヤとしており、椿に似ている。
果実は夏が旬のブルーベリーも、
秋には真っ赤に紅葉するんだね。

気づくと、狂い咲きの小ちゃな白い花がポツン。

夏に来訪し、鈴なりのブルーベリー畑を見てみたい!




2021年11月16日火曜日

秋の秩父

秋の秩父。 実は小学生以来。

 真っ青な晴天に、少しずつ色づき始めた木々の葉。

 深い緑、燃えるような紅葉、だけどメインは目も覚めるような黄色、イエロー、ゲルプ。
 ゴッホの絵の中に入ったよう。 

久々にマスクをずらして、秋の空気を思い切り吸う。

 落ち葉の匂い、焚き火の燻した匂い、落ち葉のカサカサする音、鳥が甲高く一鳴きする声、草むらに隠れて鳴く虫の音。 
 これよ。 これが生きてるってことよ。

 日頃、アリンコ一匹で「虫ー!」と騒ぐ軟弱な子どもらも、自然の中に入ったら、もう無我夢中で駆け回っている。
 焚き火で焼き芋、ドラム缶風呂、薪拾い、薪割り、雑木林探索、ノコギリでコースター作り、皆でバーベキュー。

 こんなにリラックスしたのは、何年ぶりだろう。

2021年10月22日金曜日

8年ぶり

8年ぶりに、このブログの存在を思い出した。

そういえば、昔ブログなるものを書いていた気がする……と。

ほとんど誰も読んでいない、、だけど、改めて読んでみたら、自分の外部記憶装置として案外いいんじゃない?ことに気づく。
なんといっても、ワタシの特技は「忘れること」。

聞いたことも、見たことも、読んだことも、体験したことも、ほとんど忘却の彼方に放り投げて生きてきている。
残っているのは、記憶の断片のみ……。

例えば、今まで読んだ本の10分の1でも覚えていれば、今頃かなり頭良くなっているのでは……と思うが、残念ながらほぼ100%忘れていくので、仕方がない。
増えるのは、書棚からモリモリとはみ出していく本の山くらい。
ひどいときは、買ったことを忘れて、再度「面白そー」とポチりそうになることも。
ありがたいことに、Amazon先生が「以前買ったことがあるようですが、大丈夫ですか?」と確認してくれているが。

万事がそうなので、ブログはワタシの信頼ならない脳みそより、はるかに記憶保管装置として頼りがいがあると、再認識。
ということで、再びつらつら書き始めよう。


この8年間も、常に何かは書き続けてきていた。
でも、それは常に他人の言葉だった。
雑誌・書籍のライターとして、他者に取材をして、その言葉をイタコのように、読者に送り届けるのが私の仕事。
これはこれで、とても楽しい。
私の1回きりの人生では、絶対出会えなかったであろう人々と出会い、
彼らの話を聞き、それを記録に残す。
1時間の話を、短いときは1300文字、通常は3000文字、多ければ6000文字、に圧縮して書いていく。


ただ、そういう仕事を12年ほど続けてきて、ふと思う。

自分自身の言葉を、書きたいな。

自分自身が、思うことを書きたいな。

自分自身が、体験したことを書きたいな。


そんな御大層な体験など、日々の生活にはない。
壮大な思想なんてものもない。
だけど、たまには、他者の言葉ではない、自分自身の体感を吐き出したい。
思えば「ライター」になって以降、自分自身の言葉で自由に書くなんて経験、このブログでしかなかったんじゃないかな。
noteとかね、もっと「ライター」らしく、大勢に向かって意見表明する場とかもあるけれど、ウジウジずっと悩みどおし。
ふと、思い出し、このブログを見たら、むしろ「閉じてる」空間のほうが、ワタシは自由にかけるのかも……と思い直した。

ひっそりと、「王様の耳はロバの耳!」と穴に向かって叫んでみよう。

今感じたことも、1年後には忘れている私だから、メメント。