2009年9月26日土曜日

京都旅 その3 宇治・平等院

この日の朝食は、「前田珈琲」店へ。



クロックムッシュとカフェオレをいただき、電車に乗って宇治に移動。



電車が宇治茶色!とテンションあがる。



小雨の降る中、宇治駅に到着。
急いで「源氏物語ミュージアム」に移動する。
小さいながらも源氏物語の世界にひたれる素敵なミュージアム。
等身大で衣装が展示してあったり、光源氏の住まい六条院のミニチュアなど。
当時の建物がどういう構造になっているのか、いまいち分からなかったのが、それも良く分かり大満足。
京都に来る前に夜更かしして「あさきゆめみし」を完読したかいあり。
(情報収集元が漫画ってどうなのよ!っていう声は置いておいて…)

あまりに楽しかったので、予定よりも時間が押しこのままでは平等院まで辿りつかない!

と騒いでいたにも関わらず、途中で通りかかった「通圓」でお茶をしてしまう。
栗ぜんざいとお抹茶、美味。



その後も宇治橋を渡り切るまでに、「きれいきれい!」を連呼し写真は撮るは景色に見入るわで、いったいどれくらいの時間を消耗したことか。。



ようやく橋を渡りきり、平等院に向かう道。あるお茶のお店を探していた。
数日前に京都で会った友人が、宇治に行くならこの店にいけ、と教えてくれていたところだ。
一階は店舗で、二階が資料館になっているとのこと。

重い荷物を引きづりながら、通りかかったお店で尋ねると
「あ、それ、うちのことですよ」
お~なんて素晴らしい!
ということで立ち寄らせていただいた「上林三入」(かんばやしさんにゅう)。
(HPでは宣伝しておらず。ぜひ、宇治に行って訪れてくだされ)
江戸時代の初めからここでお店を営み、現在16代目という「上林」には、春日局やら当時の大名からの感謝状や注文書、江戸城にお茶を献上するための道中絵巻など、多くの歴史的資料を所有されている。
入場無料のこの資料館を、16代目当主の方に案内していただいた後、一階に下りて宇治茶をいただく。

宇治茶は……、ものすごい衝撃の味だった!

「ちょっと美味しい!」とか、「変わった味!」とか、「素晴らしい!」とか、「ワンダホ―!!」とか、
そんなんでは表せないくらい、「これは本当に緑茶ですか?」ってな味だった。
「これが緑茶と言うならば、では今まで飲んでいたのは何?
今まで「宇治茶」と言われていただいていたのは、あれは何?」っていうくらいの衝撃。

色は薄く、わずかにほんのりと緑茶色、だけど味はガツンと響くコクとまろやかさ。
かなりインパクトある味ながら、飲み終わった後、口にいやな余韻が残らない。
けれども、先ほどの味を口が覚えているから、「もう一煎」といきたくなる。

宇治にまで来た甲斐はあった。
いろいろ教えていただき、ついでに宇治茶も購入し、お店を後にする。


今夜の宿泊先は、「鮎宗」。
宇治川沿いの旅館に荷物だけ放り込むようにして置き、すぐ裏手の平等院へ。



確か修学旅行で訪れて、さすがに「おぉ」と感動したことだけは覚えているけれども詳細は遠く忘却のかなた。
今回改めて見学して、思いのほかの小ささに少しびっくり。
初めて見たときの感動が、記憶の中の平等院を現実よりもはるかに大きく、はるかに豪華絢爛に仕立て上げていたみたいだ。
私の記憶の中に残る平等院は結構極彩色だったから、1000年の時を経ての姿ではなく建てられた時の姿が、それを見ているはずもない私の記憶の中に刷り込まれていたのは面白かった。

極楽浄土を表していた当時の姿を、この目で見たい。


池には季節外れの蓮の花がちんまりと咲いている。



天気がすぐれぬ曇り空だがそれもよし。

平等院の裏手にはすでにすすきと萩が咲いており、秋の風情を漂わせていた。



平等院の閉園時間も迫り、敷地内には私たちしかいない。
それでもマイペースな私たち。小さな小さな白い蓮を見つけた。
蓮と言えばピンクが普通なのに、珍しいと眺めていたら、門にいた係の人が説明してくれた。
この平等院にある白い蓮は、現代のピンク蓮とは異なり、古代蓮なのだそう。
古代に咲いていた蓮をよみがえらせ、この平等院に植えたのだとか。
清々しく瀟洒な白い蓮。
今回の旅で出会えてよかった。




さてさて。
夕食はこの日の宿「鮎宗」にて。
宇治川にせり出す川床にて、刺身やてんぷら、おそばなどを美味しくいただく。
夕暮れの宇治川はまるで時代を遡ったかのような風情で美しく、日本酒のほろ酔い加減がますます対岸の朱色の橋を朧霞に煙ってみせる。



「うまうま」食べているところに、宿の人が「そろそろ鵜飼の始まる時間ですよ」と急かしに来てくれた。
「寒いですからよかったら、どてらでも着て」
「でも、お酒がまだ…」とむにゃむにゃ言っていると
「お盆貸してあげますから、ここにとっくりとお猪口を乗せて。」

宿のどてらを着て、お酒持ってフラフラと朱色の太鼓橋を渡る。
ますます時代感覚が揺らいでくる。

船に乗り込むと、私たちのお酒を見て先客たちが
「おっ!」
「いいね!」
「うらやましいね~!」
と口々に声をかけてくれた。

「えへへ~」と言いながら船に落ち着く。



これから一時間弱、船に乗って鵜飼漁の見学だ。

空はとうに真っ暗になり、空気は澄みきり冷ややかだ。
霧が煙る中、船は静かに川を漕ぎだす。

向こうからも船が一艘やってくる。
川べりでは若い女性の鵜飼師さんが説明を始めている。

まずペリカンの仲間だという鵜の首にひもをくくりつける。
これで、川に入った鵜は魚をとっても自分で飲み込むことができなくなる。



そうやって首をくくられた鵜たちは、その後川に次々と放りこまれる。
鵜飼の始まりだ。



船の先頭にかがり火をぶら下げ、その灯りの下で鵜たちが次々と鮎を獲り始める。
その流れとはこうだ。
彼らが鮎をパクッとやると、鵜飼師が目ざとく見つけ、その鵜につながっているひもをグーンと引っ張る。
船に釣り上げられた鵜は喉と口を押さえられ「吐かせます、吐かせます」という鵜飼師の声とともに、グエッと鮎を船底に吐かせられる。
そうして再びその鵜は川にポーイと放り込まれるのだ。
そうしてまたパクッとやったらグーンと引っ張られ、グエッとさせられ、またまたポーイと…。

なんとも不憫なかぎりではある。
捕っても捕っても、ちっとも自分の胃の腑に入ってこない。
「変だな~」と思いつつも何度も水の中に長い首を突っ込んでは「捕った!」
瞬間グーンと引っ張られ吐きだされるのだから。

でも、ちゃんとこの鵜飼漁が終わった後に、鵜たちはご飯をもらえるらしい。
逆にこの前ご飯を与えてしまうと、鵜たちは満足して鮎を捕らないらしいのだ。
そりゃあそうだろう。

おかげで今現在、究極腹減りまんな鵜たち。
がんばって鮎を捕り続けます。。



この鵜飼は9月から始まった。
時期的にちょうど。
見れて良かった。
小骨が多いわりに身が小さくて、今まであまり好きではなかった鮎。
これからは空腹を抱えた鵜たちを思い出して、心して食することを心に誓った夜でありました。


2009年9月19日土曜日

京都旅 その2 河原町・祇園・清水寺

京都2日目は、主に三条河原町のあたりに出没。
必要があり、朝着物を着て出かける。
髪の長さがあまりに中途半端で自分ではアップできないため、美容室でアップしてもらう。

途中、飲み物を買いに外に出て、ふと美容室入り口にひっそりと立つ碑を発見。
そこには、
「吉村寅太郎寓居跡」
の文字が。
さりげなく利用した美容室の入り口にまで、こんな歴史を感じさせるものがあるなんて…。
すぐ隣にもう一つ碑が建っていたので、こちらは?とみると、
「武市瑞山先生寓居跡」
…。
さすが京都。。

そういえば、さっきタクシーで通った通りには「池田屋」と書かれていた居酒屋があった。
飲食店で「池田屋」を名乗るとはずいぶん強気だな~と思いきや、本当に「池田屋」跡だった。
ずいぶん前に「池田屋」跡地はパチンコ屋になったと聞いていたのだが、タクシーの運転手さんの話によると、最近飲食店として生まれ変わったらしい。
まぁ、パチンコ屋より飲み屋の方がよっぽど本来の姿に近いですな。
はなの舞だけど。。
だけど、これまたタクシー運転手さん情報によると、内部の設計は東映の監修により当時の池田屋内装に似せて造られているらしい。
階段とかね。
ちょっぴり気になるな。。

そんな発見などをしながら過ぎて行った一日。
いろいろ新しい体験をできた一日でした。

あ、お昼は「月曜日のフォーク」
素敵な日本家屋でいただくフレンチ。
美味しかったな。


翌3日目は、友人2人が夜行バスで朝の6時半に私のホテルの部屋に到着。

そろって朝ごはんを食べに「イノダコーヒー店」へ。



入口付近の廊下では、3羽のインコくんがてんでんばらばらにお喋り。
ピーピーぴちゅぴちゅ、可愛かったな。
朝日降り注ぐ中で飲むコーヒーも美味し。




その後、タクシーで大徳寺。

細川忠興が造った高桐院を見る。



青々としたもみじの中に、ひとつふたつ、紅葉した葉が美しい。




人も少なく、ゆっくりと座りながら景色を楽しむ。

その後、大友宗麟の瑞峯院を観る予定だったが、残念ながら修繕中で諦める。

バスに乗って八坂神社に。
祇園でうどん屋さんに入る。

小さなテーブルをいくつか並べただけの小さなお店だが、名物のネギうどんが素晴らしく美味しかった。
いっぱいのうどんに九条ネギを9本使っているらしく、ネギのうまみと生姜のぴりりが優しいおだしの味を引き締めてる。




うまうま言いながら食べ続け、気が付いたら最後のお汁まで飲みほしていた。







最後の晩餐に何を所望するかと問われたら、迷うことなくこのネギうどんをお願いしよう。





「あんなにネギ食べたのに全然くさくないよね~」
ネギうどんと納豆うどんを食した女三人、「くさくない」と信じていたが、もしかしたらものすご~く臭かったかもしれない身をお香屋さんに運ぶ。

あれやこれやと選びながら、八坂神社を抜けて清水寺の方向へてくてく歩いていく。
途中、誘惑物だらけのお店をはしごしていたら、、
どうにも拝観時間には間に合わない気配が漂ってきた。。
それでも止まらないお店めぐり。




途中で奈良竹を使っての品を扱うお店で、茶杓と茶筅を買う。

坂の途中には、のんびり道に寝そべる猫ちゃんが何匹もいた。





野良のようだが、いたって鷹揚、毛の艶も良い。
きっと周りから可愛がられているんだろうな~






坂を登るのに疲れ、途中で宇治抹茶ミルクかき氷なんかを調子に乗って食べたりしているうちに、
本当に清水寺の拝観時間は終了し、清水寺が閉まるということは、当然周囲の観光客目当ての土産物屋も閉まるということで、気が付いたら私たちは日の暮れた三年坂にぽつねんと取り残されており…。

ふぅ。

しかたない。

また、次のときに七味は買うか、、

ということで、清水寺界隈を後にしたのでありました。



2009年9月17日木曜日

京都旅 その1  四条

京都に行ってきた。

たまたま1日のみ京都での予定が入り、「ならば…」ということで前後に自由になる日をくっつけてみた。
今回はきちんとテーマを決めようと思い、「お茶」に定める。
茶道(抹茶)と煎茶道(煎茶)に縁の深い場所を訪ねてのお勉強。
お茶仲間にその計画を話すと「いいな~!私も!」、ということで、現地で落ち合って3人で「お茶巡り」をすることになった。
すべてを周ることはできないが、少なくとも利休さんに縁の深い大徳寺と、煎茶を中国から日本に伝えた隠元禅師がひらいた宇治の黄檗山萬福寺はしっかり訪れようと、珍しくも厳密な計画を立てた。

とりあえず初日はがっつり早起きをして昼前には京都入り、
ホテルに荷物を置かせてもらって自分一人で美術館巡り!

…と思っていた計画は、朝9時に起床した時点で敢えなく玉砕…。
前夜、「宇治に行くならばこれだけはしっかり読破しなくては!」と読みふけった「あさきゆめみし」。
漫画と侮った私が悪うござんした。
一冊一冊にかなり時間がかかり、読み終わったのは夜中の三時半もまわったころ。。
浮船の独白をなんとか読み終わり、ベッドに入り、、そして寝坊。

タラタラ準備して出発し、池袋に着いた時点で「腹減った~」。
カレーライスを食して東京駅へ。

結局京都駅に着いたのは3時半。
土砂降りの外を眺めつつ、観光する意欲などどこへやら。
前日に、たまたま京都入りしていた大学時代の友人Aに電話し、二人で私の宿泊する予定のホテルに直行。

そのまましゃべくり倒し、6時半ころようやく近所のレストラン「B legumes a table」へ。
3500円のディナーコースで、前菜6種・メインを選び・デザートと飲み物。
前菜6種は美しく盛られ、そのどれもがしっかりとした味でボリューム感もたっぷり。



特に中央に置かれた野菜たちは信じられないほど美味しく、このお野菜たちだけでもいくらでも食べていたいほど!



メインの牛肉のソテーも、柔らかくておいし~い!



メインのデザート、栗のブリュレ。



コーヒーも、とても美味しくいただきました。



ごちそうさまでした!


その後、雨の上がった夜の京都の街をお散歩お散歩。

ぐるぐる横道を入ったり、大通りに出たり、さまよいながら四条から二条城まで辿りつく。

なかなか気持ちの良いお散歩ながら、改めて戦火にやられていない街並みは美しいな~と思う。
東京は汚い汚いと思い続け、現代人のなんと悪趣味なことよと嘆いてきたけれども、やはり歴史が連続して流れる街の景観は、新旧入り交ざっても違和感のない情緒を醸し出しており。。
古い木造りの町屋の隣に、たとえ新しいマンションが建てられていたとしても、
そこは不思議に調和がとれており、これはこれで良いのかなと思ってしまう風景がいくつもあった。
おそらく新しいマンションを建てる折にも、デザインや色彩の面で周囲と調和するよう、様々な配慮を払っているのだろうけれども。


浅草に住むお茶の先生から、先日、終戦間際の東京大空襲で隅田川付近を逃げ回った話を伺った。
疎開先からたまたま帰ったその日に空襲を受けてしまった話、先生と妹、お母さんとおばあちゃんで逃げ回った話、小学校に逃げ込みたかったけれども道が混乱しすぎて行きつけなかった話、けれども、後になってみればその小学校に逃げた人はすべて焼かれてしまった話などなどを聞いた。
当時の財産はすべて失い、それでも命は免れたのだからありがたいと思わなくてはならないと仰っていた。
けれども、小さい女の子の時分に誂えてもらったお雛様一式だけは、今でも取り戻したいと叶わぬ願いを抱いてしまうこと、せめて写真だけでも見たいと思うけれどもそれもなし。

本当に戦争はすべてを奪ってしまう。。

先生の持ってらっしゃるお道具の中には、当時の戦火で形が変形してしまったものもある。


京都の夜の街をそぞろ歩きながら、そんな話を思い出していた。


2009年9月11日金曜日

卒業



3年間勤めた職場を卒業した。

ライター業との二足の草鞋が続いた日々。
「派遣」ながら、ずいぶんと我儘な勤務形態を許してもらった。

本来なら三カ月更新のところを一カ月更新にしてもらったり、やっぱり三カ月に戻してもらったり、
週三日きんむにしてくれと言ったり。
「一週間休みくれ」と言ったり、挙句その二週間後には「今度は夏休みを…」と言ったり。。

本当ひどいもんですな。。


そんな我儘な私を許してくださった職場の方々に心から感謝です。

実際、ここでの日々がなかったら、たぶん今の私はいないと思います。

か、もっと別の私になっていたと思う。

本当ここに三年間いれて良かったです。


みんなみんな、どうもありがとう!

モエレ



北海道は登別温泉。

一泊二日の取材旅行。

一日目は残念ながら大雨。
支笏湖を眺め、アイヌの資料館を見学し、地獄谷脇にある温泉に。

温泉大好きながら、猫舌・猫肌(?)な私は、毎回温泉ではのぼせるばかりで納得いくまで湯につかれないのだが、ここはあまり高温ではないのがありがたい。
何種類もの温泉があり、ひとつひとつ試していくのが面白い。
とくに「美人の湯」にはたっぷりと!


翌日は快晴!

秋晴れの青空のもと、地獄谷温泉を巡る。
すすきが風にそよいで清々しい。



味噌ラーメンの昼食後、モエレ沼公園に。
ここは、彫刻家のイサム・ノグチが設計した公園。
広大な敷地面積。
緑の芝生と林に沼、噴水、建造物、ピラミッドのような丘に、野球場やサッカー場、、、。
サイクリングでぐるり周る人もいれば、キャーキャー遊ぶ子供たちもいる。
横になって丘からぐるぐる落ちてくる子供をみて、いいな~。
でもあれ、意外と難しいのよね。
まっすぐにぐるぐるできなくて。

せめて靴を脱いではだしで地面の感触を確かめる。
ひんやりとした緑が心地よい。




気温は20度を切る。
空気はあくまで爽やかで、湿気はほとんど感じられない。
風は少々冷たいながらも、日差しがかなり強いため晴天の秋空を楽しむ。
皆でごろり横になって「編集会議」。






そろそろ日も陰り寒くなってきたころ、ひときわ高い丘に登り皆で夕陽を眺めた。
360度ぐるり札幌市内を眺め渡す。




その風景の中に、「あれが北海道開拓100周年の記念の塔だよ」と教えらた建造物があった。
ほ~と見入り、原生林を切り拓いてここまでの都市にした人々の人生の思いを馳せる。


ところが。。

帰りのタクシーの中で、先ほどの私は指差された方向の先にある別の塔を見ていたことが判明。
では私が見ていたあの塔は?とタクシーの運転手さんに聞くと、
「…。あれはごみ焼却場の煙突です…」
言いにくそうに答えられた。

そうですか。。
ごみ焼却場の煙突を北海道開拓100周年記念の塔だと思い込んで、この先の人生送るところだったよ。。


たったの二日間とは思えないほど、長い時間を過ごせた北海道。
ありがとうございました!