美容院に行く時間も気力もなく、自由奔放に伸びきった私の髪。
最後に切ったのは二か月以上前。
ロングなら結んでしまうから大丈夫だろうけれど、私の頭はミディアムです。
さすがに毎朝のセットやら、髪の毛を洗った後のブローに時間がかかり、私の許容範囲を超えてきたので、先日昼過ぎに取材が終了した日、予約もなしに美容院に突撃。
あ~。
久しぶりに癒しのとき。。
しかし不安なのは、眠気。
寝不足続きの私に、はたして3時間以上の美容院滞在が耐えられるかどうか。。
案の定、シャンプーが始まると同時に爆睡。
カットしてもらっていてもウツラウツラ。
しまいには、パーマ用のロットを巻いてもらっているときにも船を漕ぎだす始末。
いつでもどこでも熟睡体制に入れる私です。
過去にも、歯の治療中に寝入ってしまい、
「ハイ。起きてねー。口大きく開けないとほかのところ削っちゃうよー」
と注意された瞬間、ハッと目覚めるとともに先生の手をガッとつかみ、
「危っっ!危ないよ~!!ホントに削るよ~」
と注意されたことも。。
だって、びっくりしたんだもん。。
今回も、睡眠に移行しつつある私に気づいた美容師さんは急げとばかりに三人体制に突入。
「miuraさま!しっかり!!あともう少しの辛抱です!!!」
「ファ~…」と答えるそばから…zzz…、ガクン。zzz…
そんなこんなを乗り越え、ようやく美容院終了~。
眠さの極限と勝負したひとときだったけれど、これでしばらくは日々の髪の毛の煩わしさからは解放されそうです。
よかったよかった。
2009年4月15日水曜日
明日館の夜桜

先週、最後の桜を見た。
池袋にある明日館の夜桜。
先日の隅田の桜と同様、桜を見に行ったわけではない。
二週間に一度、この建物内で書道教室が開催されている。
そこに行った時のこと。
明日館は、1921年に自由学園明日館として建てられた。
建築は、帝国ホテルも設計したアメリカ人建築家のフランク・ロイド・ライト。
門をくぐると芝生を敷き詰めた小さな中庭があり、それを取り囲むようにコの字型に建物が建てられている。
豪華ではない。
簡素なのに瀟洒な建物。
昔ながらの明るさを押さえた照明が、長年使いこまれた木の床に柔らかに反射しており、美しい。
国の重要文化財である。
そこの桜が美しい。
もっともほとんど認識せずに行ったのだが。。
建物の他のホールでは、アパレル関係のパーティ行われていた。
照明をおとした会場にガンガンに音楽をかけ、モデルやデザイナーらしき人々が、これでもかっていうくらいの多さでひしめき合っている。
その中をぬいながら、一人筆を持って洗面所の水を求めてさまよい歩く。。
外では満開の夜桜がライトアップされて紺碧の夜空に浮かび上がっている。
おりしもその日は満月。
筆をもったまま教室に戻らず桜に見入っていたその瞬間、
一気に風がわき起こり木々を大きく揺さぶった。
ほとんど満開状態も過ぎ、かろうじて花芯にひっついていた花弁たちが抵抗できずに一斉に手を離した。
ブワ~ッとばかりに巻き起こる桜吹雪。
一枚一枚がライトに照らされて白く輝き、空高く舞い上がる。
と、風向きが変わったのか、一斉に私にめがけて吹き付けてきた。
ときが止まったかのような美しさ。
桜の吹雪に包まれて、一瞬「桜の香り」まで感じたような気がした。
一生この光景を忘れないでいよう。
春の桜の最後の瞬間。
2009年4月5日日曜日
桜

隅田の桜を観にいった。
正確にいえば、通りかかったら咲いていた。
今年の桜は例年より早く咲くのではないかと言われていたが、三月末に一時気温が下がったことにより、いつものように4月頭に満開と相成った。
そして私はといえば、3日に上野公園に夜桜を観に行けるはずだった。
さらに、4日には千鳥ヶ淵にこれまた夜桜を観に行けるはずだった。
計画は完璧だった。
なのに、その実行は不完全だった。
簡単に言えば、仕事が残業続きで終わらず、桜なんて夢のまた夢だったということだ。
あー。私の今年の桜は終わってしまった。。
とぼとぼと歩いていたこの土曜日。
目的地は向島。
いい加減、そろそろ行かないと破門になるのではないかと不安になりながらの、
久々のお茶のお稽古。
私はいつも浅草から、隅田川沿いをテクテク歩いている。
そんなお決まりコースを目指して歩いていると、なんだかいつもと雰囲気が違う。
人々が溢れ空気が華やいでいる。
そして目の前に広がる、満開の桜たち!
そうか!
浅草といえば、隅田の桜ではないか!!
そんな当たり前のことをすっかり忘れていた私は、浮き浮きしながら川沿いを歩き、公園を抜けて歩いて行った。
桜を愛で、その花に酔う人々を眺める。
昔は、いわゆる「花見」というものが好きではなかった。
花は花だけを愛しむべき。
満開に咲き誇る桜霞は美しいが、
その下で酔い浮かれ騒ぐ大人たちの姿を、私はどうにも好きになれず、
結果として桜の木そのものにも愛着が薄れていっていた。
確かに桜はきれいだが、そこまで浮かれ騒ぐほどのものか。
美しさなら、他にもっと美しい花や樹はある。
一本で咲くより群れて咲くときにこそ、その美しさの威力を発する桜は、
またなんだか個性に欠け、
それくらいなら、まだ冬も明けぬ寒空の中にたった一本でも凛と咲く梅の方が、よっぽど私には美しく魅力的に思えた。
たった一本、あるいはたった一輪でさえも梅の花の美しさは完璧である。
黒く無骨な枝と可憐な花弁の対比こそが、日本の美を代表するに相応しい花だとずっと思ってきた。
今でもその想いは変わらない。
しかし、ここ5年ほどで桜の花に対する人々の愛着も、なんとなく分かるようになってきた気がする。
咲き始めてから一週間、持つか持たないかの美しさ。
淡い薄雲のように、人々の頭上を埋め尽くす霞花。
春のひとときだけ、あたりの風景を一変させる桜の木々。
以前知り合いの女性が、
もうすでにお年を召されて体も弱くなられたお母様を連れて、花見に行ってきたと語っていた。
お母さまはとても喜んでいらしたそうだが、最後に一言つぶやいた言葉が忘れられないとも話していた。
今年も桜を見れて良かった
来年はもう、私は桜はみられないだろうから
その言葉はずっと私の中に残り続けた。
自分で見たわけでもないその情景が、なぜか私の目に焼きついて離れない。
そして、春になるといつも必ず思い出す。
そのせいかどうかは知らないが、
気づいたら、私の中での桜に対する頑なな感情がとけていた。
そうか。
桜を、人生であと何回見れるかで、残りの人生を計ることもできるんだ。
いつの日か、私も春の訪れとともにこの花を見るとき、そんなことを思うようになるのだろうか。
今年も満開な桜を眺めながら、彼女の亡くなられたお母様のことを思い返していた。
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