2009年12月31日木曜日

ディズニー

27日の日曜日。
原稿書きが終わらず朝の6時半まで。
しばらく寝て、昼ころ起き出して再び格闘。
夕方、ようやく編集者に送信。

その後、夜の9時半ころ家を出て新宿へ。
かつてのバイトの仲間たちと忘年会。
23時スタート、朝5時解散がいつものパターン。

久々に皆とわいわい。
最近家でひとりPCと格闘していたので、大勢で語らうのも久しぶり。
楽しい。


28日の月曜日。
早朝5時半頃の新宿発の電車に乗って帰宅。
何故こんなに電車が混んでいるのか、理解不能…。
出勤なのか、帰宅なのか。
みんな普通のテンションなのも謎…。
とりあえず椅子にも座れず、ギューギュー詰めの車両に揺られていく。。


帰宅後、就寝。
昼の12時に起床。
さすがに頭がぼーっとする。
ぼーっとしたまま支度をし、今度はディズニーシーへ。

先日取材した先で散々ディズニーリゾートのすごさを聴かされたため、にわかにディズニーリゾートが気になりだした編集者と、「ディズニーシーで忘年会ってよいね」となり。



日の出ている内に来て少し遊ぼうと思っていたのに、着いたら6時を過ぎていた。
とっぷり日は暮れてるし、過去に3回くらい来ているにもかかわらず、園内で迷子。
ようやく待ち合わせ場所に着いたのは、待ち合わせ時間もはるかに過ぎた頃。。
ゴメンナサイ、、。


夜景がきれい。
やっぱいいね。
シー。
お酒も飲めるしね。

満足満足。


そろそろ、2009年も終わりですね。



2009年12月27日日曜日

紀の善



雑誌の取材で、早稲田へ。

某有名週刊誌の元編集長にお話を伺う。
面白く、勉強にもなった。

ライターをやっていると、いろんな人のお話が聞けてとても楽しい。

夕方に編集者とカメラマンと別れ、ふと、朝から固形物を食べていなかったことに気がつく。
身体が冷え切っていたためか、にわかに空腹をおぼえる。
しばし熟考。

今からがっつり食べると夕飯が食べられなく…はならないが、お腹がもたれるのは確実。
かといって今我慢して帰ると、食事前にお菓子に手を伸ばすことも確実。

ということで。
乗り換え駅だった飯田橋で表に出て、神楽坂下の甘味どころ「紀の善」に。


いつも混みこみのこのお店。
だけど意外と早く回転することが判明。

おしるこ、うまうま。
身体もあったまり。

いつかここの、抹茶ババロアとか、鍋も食してみたく。。


さて。
帰ってまた原稿書きだ。

2009年12月21日月曜日



洗濯物を取り込みに外に出たら。

夕闇にポツンと漂う小さな月と、
地球からポッコリ飛び出てみた富士の山が。

可愛らしな。

バレエ音楽

久しぶりにバレエ音楽を聴きながらお仕事。

一から原稿を書くときは無音がほとんどだけど、今やっているのは原稿整理。
無音だとかえって集中力が拡散して持続しない。
かといって歌付きの音楽では、自分が歌いだしてしまう。

その点、バレエ音楽だと程よいスピード感とリズムでサクサク進む。

「FRENCH BALLET FAVOURITES」

ドリーブの「コッぺリア」や、アダンの「ジゼル」、グノーの「ファウスト」など。


フランスのバレエ音楽は、軽くて小粋でよいね。

2009年12月18日金曜日

ロンドンバス




ロンドンバスツアー(で東京めぐり)に行ってきた。

9月まで勤めていた職場のメンバーで。
辞めちゃったのに参加させてくれて感謝感謝。

夜九時半新宿発、飲み放題で二時間で¥5500。
食べ物は各自で持ち込み。



大興奮で乗り込み、感動でワーワーしているうちに出発!

意外と揺れる。



バスは原宿から表参道にかけてのイルミネーションを潜り抜け、





六本木へ。



たまに信号で止まっていると、歩行者が手を振ってくれる。
お互い写真の撮りあいっこをしたり。。

途中、東京タワーが見えるところで運転手さんが車をとめてくれた。
皆で降りて記念撮影。



ワイワイ騒いでいるうちに、あっという間に二時間が経ってしまった。

楽しいもんだな~、ロンドンバス。
ぜひまた参加したいっす!

みんな、ありがと~!


                  メリ~★クリスマス  



2009年12月15日火曜日

背中をポンと…

友人の占い師に会いに自由が丘まで行ってきた。

同じ大学の先輩。
美人占い師。

以前も一度みてもらったことがある。
その後も友人に「紹介して」と言われ、付き添ったこともある。
今回も大学の後輩に頼まれて付き添い。
…がてら、私もみてもらうことに。

ここ数年、いろんなことがあった。
総じて良い方向へ良い方向へと向かっているが、ことに2009年はいろいろあった。
何といっても、職場を辞めてフリーの身になり、手探りながらも仕事をしていっている。
フリーになったことに後悔はなく、大学時代からの願いをかなえた形で素直に嬉しい。
自分の時間を自由に使ってお仕事できる形態はまさに理想。

とはいえ、不安がないといえばウソになる。

たまにこれで本当にいいのか?

と悩む(…こともある)。

占いだけに頼るつもりはないが、なんとな~く、背中をポン…っと押してもらって、2010年を踏み出したい気持ちもあり。


彼女の占いは、中国の算命術。
彼女自身が手相や顔を見て占うわけではなく、辞書のようなものを引きながら、その人の姓名や生年月日で調べて計算していくものだ。
超売れっ子の彼女は人当たりも柔らかく、ただでさえ一日に何人にも会って相談をしているので、いわばカウンセラー的存在。
決して個人を「あなた、まちがってる!」とか「絶対こうしなさい!」とか言わないし。

明るくさわやかに、「この時期はに働く時期」とか、「学ぶ時期」とか、「遊ぶ時期」とか、「健康に気をつける時期」とか…、いろんなことに適した時や場所を示してくれる。


で、どうやら私がフリーになった時期や、今後やろうと思っていることのテーマや時期も、「全く問題ない」というか「とてもいい判断」とのことで、無事背中を押してもらえた。

よかった~。


たまたま指定されたカフェに行ったわけだが、そこで美味しいカフェオレを出してくれたお店の女性をよくよく見ると、かつての仕事仲間で、これまたまたびっくり。

「今何やってるの~」と盛り上がり。


なんだか、不思議な縁も感じつつ、、
これからの未来をきっちり見据えてみましょうか。


 「迷ったら、一番困難そうな道をゆけ」

先日、ある人からいただいたことば。

はい。

では、いきましょうか。

2009年12月14日月曜日

花づくし

江戸東京博物館の「いけばな展」と「義士茶会」に行ってきた。

毎年12月半ばの土曜日は、江戸博の「義士茶会」の日。
いつも都合がつかずに行かれなかったが、今年ようやく行ってきた。

12月は赤穂浪士たちが吉良を打ち取った月。
この忠臣蔵にちなんでの茶会である。

なぜ茶会、さらにいうとなぜ宗偏流か。
それは、吉良上野介が山田宗偏にお茶を習っていたから。
討ち入りの日が12月14日になったのも、その日吉良邸で茶会が催されるという情報を大石らが事前に入手していたから。
その情報を手に入れるため、赤穂側の人間はわざわざ宗偏の弟子にまでなっている。
他の用事なら変更される可能性もあるが、茶会は招く方にとっても招かれる方にとっても絶対なもの。
延期などはありえない。

さらに無事討ち入りが成功したのちは、打ち取った吉良の首をやりにぶら下げ市中を練り歩いたのだが、実は、それは首ではなく、茶会で使う花入れの籠を首に見立てて布でくるんでいたのだとか。

いずれのエピソードもあまり美しいとは思えない。。
が、とにもかくにも茶の湯、それも宗偏流との縁は深い。
ということで、この季節、吉良邸のあった本所の周辺では茶会が催されることが多い。


さて、江戸博の「義士茶会」。
椅子席での簡略バージョン。
誰でもはいれる茶会なのでお勧め。

お軸には大石内蔵助直筆の書状がかけられ、泉岳寺の古材でつくった香合が置かれていた。
白椿の花に、一滴の血を表わすために小さな赤い実まで添えられている。

もちろんお茶もお菓子も美味しくいただき。。
また来年もきたいな。


「いけばな展」も面白かった。

室町時代~昭和初期までのいけばなの歴史を、古い文献を元に展示、再現している。
秀吉が前田邸を訪れた際、池坊がかざったという作品をCGで表わしているのも興味深かった。



午後三時からは雑誌の取材のため京橋へ。

夜は有楽町マリオンの朝日ホールで、茂木健一郎さんと宮本亜門さんの対談。
おもしろく。
二人のテンションの高さ、志の高さ、日々の情熱、
ことにマイナスに落ち込んだ状態から、プラスのエネルギーへと変換させる力強さ。


打ち上げのビールも美味し。


薔薇を一本いただいた。
希望者が手を挙げて。
「はいはいはーい! ほしいです!!」
両手を挙げて立候補。


サントリーが今年開発した、幻の「青い薔薇」。
何度見ても紫だけどそこらへんは、ね。

紫でも十分美しいよ、「青い薔薇」。
黒っぽい葉もホレボレ。

むき出しのままの薔薇一本、抱えて帰ってまいりました。


「いけばな」で始まったこの日。
最後は2009年の科学の粋を極めた「幻の花」で幕を閉じましたとさ。



2009年12月12日土曜日

酒と晩鐘

京都旅行に行った折、大徳寺前の小さな骨董屋でお猪口を三つ買った。

おそろいの柄で、日本各地の名所が描いてある。
もとはもっといろいろな柄があったのだろうが、残念ながら三つしかそろわなかった。

気に入って大切に持って帰ってきたはいいが、実は日本酒を飲む習慣がない。
家族の誰にも。
したがって我が家には日本酒がない。
たまにきても誰かにあげてしまうのが常だった。

ということで箱にしまわれたまま数カ月。


ところが先日、伯父から日本酒をいただいた。
どこかのデパートで日本酒の試飲会に立ち寄ったところ、「三浦藩」御用達という酒があったので…、ということで。
「三浦藩」なんてあったのかや?と思いしらべてみたところ、千葉にそれらしきものが存在した模様。

さっそく、いそいそと例のお猪口を箱から取り出してみた。
夕飯のときに日本酒を注ぐ。



よいわ~。

透明な液体を通して、金と水色の景色が美。
お酒を飲んで、ゆらゆら風景も揺れまする。


三井の叔父から三浦への酒。
「三井の晩鐘」で、ご馳走様。



2009年12月11日金曜日

フラメンコ



新宿、伊勢丹会館にあるスペイン料理の店「エル フラメンコ」に行ってきた。
友人のフラメンコダンサーが出るというので。

彼女とは、かつて働いていたバレエ用品店で一緒だったことがある。
どうもそのころの彼女は20歳ちょいくらいだったらしいが、とてもそうは思えないほど当時から貫禄ある長身美女だった。
フラメンコにぴったり。

彼女はその後二度のスペイン滞在を経て、年々踊りの技術と迫力に磨きをかけている。


フラメンコは観るならば断然、舞台ではなく店がいい。

客席との距離が短いほど、踊りの熱気やダンサーの息遣い、サパテアード(足を打ち鳴らすさま)の振動やカンテ(唄)の響きなどが直に伝わってくる。
舞台だと、地面を張って伝わってくる振動も熱気も感じられないので、その点ちょっとさみしいかぎり。


古典バレエが、美を抽出蒸留させたものならば、
フラメンコは生命の躍動そのもの。
きれいも、悲しいも、寂しさも、恨みのような情念もすべてこの瞬間に、ダンサーの身体・歌い手やギターの響きに込められ放出される。
観客であるはずのこちらの、目も耳も身体も心も、すべてが次第に麻痺して感覚を失っていく。

スペインにいったら、もっと気軽に頻繁にこの感覚に落ち込んでいけるのかな。



ちなみに、、数年間働いていたこのお店で、一度も売ったことのないフラメンコアイテムがあった。
ず~っと、レジ前のディスプレーに陳列していながら。
当時の同僚に聞いても、「そういえば、売ったことないな~」と言っている。

なんていったかな~、名前忘れたな~。
小さなシンバルのようなもの。
パリージョの横に並べて置いてあり、どうも親指と中指(だったかな)にはめてシャンシャン鳴らす楽器。
フラメンコを習っているお客様にも
「これ、どうやって使うんですか。いつ、使うんですか」
と良く聞かれていた…。

いつか、これを使った踊りを観てみたいな。。

2009年12月7日月曜日

午後の一瞬




冬の一日は短すぎて。

お茶の時間をもとうと思っているうちに、日がかげってしまう。

午前中のベランダは日が強すぎて、
午後三時半にもなると冷え冷えと。


隙をついて読書とお茶の時間をかくほ。





2009年12月6日日曜日

花月

毎週土曜日は、お茶のお稽古。
茶道と煎茶道。

昨日は人数が程良くそろったので、5人で花月のお点前。
ちなみに煎茶で。
茶道の方で元々あったお点前を、煎茶の方にも持ってきたのが由来らしい。


まずは部屋の真ん中に煎茶のお道具を並べて準備。
5人そろって扇子を前に礼をしたら、一人ずつ小さな折り紙の箱(のようなもの)から札を引いていく。
小指の爪ほどの木の札を引いたら、裏は返さずにそのまま膝元に伏せて置いていく。
最後の人が札を引いたら一斉に裏を返す。
札の裏には「花」(の絵)、「月」(の絵)、あとは「一」「二」「三」がそれぞれ書いてある。
「花」の人は茗主(めいしゅ=お点前する人)、「月」の人は正客(正客=一番のお客様)、以降「一」(次客)、「二」(三客)、「三」(お詰め)と続いていく。
自分の札を確認したら箱に戻し、「月」を先頭に部屋に入り、お道具を取り囲んで座る。
「花」の人が、入室、お点前が始まる。

以降、ある程度まで進んだら、再び札を引く。
そしたら無言で皆たち、自分の位置まで進んでいく。
…以下省略。

私は今回二番目に「花」を引いた。
(ガビーン…)
おぼろげな記憶しかない。。
それでもなんとか進めてみた。
ほんでもって分からなくなる前に自分の番終了~。
(ふぃ、やれやれ…)

風流な遊びである。



外は雨。
風もどうやら強いよう。

そのなかで、シュンシュン音を立てている風炉の音と、良いお茶の香り。

至福のときなり。


2009年12月3日木曜日

半日ずつ…

最近、昼夜逆転。
逆転ってほど逆転でもないけど、ズレ?

理想は夜12時に寝て、7時に起床。
現実は朝5時半に寝て、10時半に起床。

おかしいな。

私にとって夜の入浴タイムが、朝起きてきた家族の朝風呂とバッティングする。

つくづくおかしいな。


ま、いいか。

原稿も無事あげたことだし、、

そろそろおやすみ~
zzz……。

2009年11月16日月曜日

白とグリーン



ただ今我が家にいるユーカリと、ホワイトのスプレーカーネーション。

花屋でまずシルバーっぽいユーカリを手に取った瞬間、秋色気分でレッドピンクなカーネーションを合わせようかと思ったけど、今の精神状況にはダークレッドはちょっぴしきつかった。

なんだかね。

別に沈んでいないし、すっごい元気なんだけど、いくら渋くても今の私にはレッドは重たかった。

今の心が求めているのは白。
ネガティブでもポジティブでもない。
まっさらな心を見つめる白。


花屋で手に取る花の色は、今の精神状態を表わしている。

将来に対する自信に充ち溢れているときには「情熱の赤」。
 ―― 薔薇とか、ダリアとか、グロリオサとか。
元気いっぱいのときは「まっ黄色」。
 ―― チューリップとか、ミモザとか、ひまわりとか。
ほんわか幸せ気分のときには「ふわふわピンク」。
 ―― ガーベラとか、アスチルベとか、芍薬とか。
すべてが暑っ苦しいときには「清涼なブルー」。
 ―― デルフィニウムとか、リンドウとか、ベロニカとか。
心が平らなときには「清純の白」。
 ―― オーニソガラムとか、ラナンキュラスとか、白椿とか。

そしてすべてに対して心が閉ざしているとき。
本当に心が癒しをもとめているとき。

その時は、何色であろうと花自体に耐えられない。

そういう時は、グリーンのみ。

 ―― のびのびとしたアイビーとか、立派なレモンリーフとか、清々しい香りを放つユーカリとか、つやつやなモンステラとか、もこもこのダスティミラーとか。


グリーンはいいやね。
生命力にあふれていて。

あ、別に今回の選択は、私の心が疲れてるとか、そういうんじゃないですよ。

気分です、気分。

2009年11月8日日曜日

百合の花



ただ今、我が家には百合が大勢いる。

先日、生け花のコンクールに出したときのお花だ。
活けたときは一輪を除いてすべてつぼみだったが、今になってようやくすべて咲き始めた。

本数としては3本程度だったはずだが、なにしろ一本につぼみがたくさんついているので、なかなかなくならない。
以前花屋に勤めているとき、「カサブランカを買っていくと、一カ月弱楽しめるのよ~」と言っていたお客さんがいたが、大げさではなくお得な花だ。

家じゅう百合の香りで良い気持ち!
と喜んでいた矢先、先日夕食の席でわが父が衝撃的な一言を放った。

「しかし、百合ってのはくっさい花だな~」

なに~!!

くさいですと!?
百合をつかまえて、言うに事欠いて「くさい」!?


喜び勇んで、家じゅうに百合を飾っていた私。
玄関にも、洗面所にも、トイレにも、食卓にも。



ちょうどその日、読みかけていた夏目漱石の本『それから』で、百合の会話が登場していた。

主人公の代助を、三千代が訪ねてくるシーン。
彼女は代助が喜ぶだろうと、わざわざ百合の花を買ってくるのだが、どうも代助は好まない様子。

 「好い香でしょう」と云って、(三千代は)自分の鼻を、弁の傍まで持ってきて、ふんと嗅いでみせた。
 代助は思わず足を真直に踏ん張って、身を後ろの方へ反らした。
 「そう傍で嗅いじゃ不可ない」
 「あら何故」
 「何故って理由もないんだが、不可ない」
 代助は少し眉をひそめた。三千代は顔を元の位置に戻した。
 「貴方、この花、御嫌なの?」
 代助は椅子の足を斜に立てて、身体を後へ伸ばしたまま、答えもせずに、微笑して見せた。

残念ながら、我が家では代助と三千代のように情緒ある会話とはならなかった。
「百合ってのはくさいもんだな~」
「くさいとはなんじゃ~」
と、こうなった。

しかも翌日の今日、さらに父は追撃してきた。
「百合ってのはくさいのに加えて、遠慮ってのを知らない姿だな~」

ひどい…

まぁ、たしかにね。。

「謙遜の美徳」なんて言葉は彼女たちの辞書には載ってないさ。
遠慮の「え」の字も感じさせないような、どっぴらきの百合の花たち。
満開の笑みで咲き乱れている。


いいんだよ。

お前たちはそれで。

十分美しいその姿と香りで、私を楽しませておくれ。

わが父には、もう少し我慢してもらうから。。


2009年11月4日水曜日

秋な一日


京都旅行の日記更新も、あと一回を残したまま中断。
毎日PCの前に座り続けているうちに、気づいたら季節は秋…。

今日中に投函しなければならない郵便物があったため、近所のポストまでぷらぷらとお散歩。
素晴らしい秋晴れにすがすがしい空気。
紅葉しかけの木もあれば、すでに葉が落ちて寒々しい雰囲気の木もあり。

あまりに気持ちが良いので、お家に帰ってお湯を沸かし、先日お茶会で余っていただいてきた練りきりのお菓子(紅葉の形)と、京都で買ってきた抹茶を点てていただいた。

夕暮れにぽっかり浮かびあがる富士の山を眺めながら、ベランダのテーブルで。

一日のうちに、一度はこういう時間を持ちたいと思う。

2009年9月26日土曜日

京都旅 その3 宇治・平等院

この日の朝食は、「前田珈琲」店へ。



クロックムッシュとカフェオレをいただき、電車に乗って宇治に移動。



電車が宇治茶色!とテンションあがる。



小雨の降る中、宇治駅に到着。
急いで「源氏物語ミュージアム」に移動する。
小さいながらも源氏物語の世界にひたれる素敵なミュージアム。
等身大で衣装が展示してあったり、光源氏の住まい六条院のミニチュアなど。
当時の建物がどういう構造になっているのか、いまいち分からなかったのが、それも良く分かり大満足。
京都に来る前に夜更かしして「あさきゆめみし」を完読したかいあり。
(情報収集元が漫画ってどうなのよ!っていう声は置いておいて…)

あまりに楽しかったので、予定よりも時間が押しこのままでは平等院まで辿りつかない!

と騒いでいたにも関わらず、途中で通りかかった「通圓」でお茶をしてしまう。
栗ぜんざいとお抹茶、美味。



その後も宇治橋を渡り切るまでに、「きれいきれい!」を連呼し写真は撮るは景色に見入るわで、いったいどれくらいの時間を消耗したことか。。



ようやく橋を渡りきり、平等院に向かう道。あるお茶のお店を探していた。
数日前に京都で会った友人が、宇治に行くならこの店にいけ、と教えてくれていたところだ。
一階は店舗で、二階が資料館になっているとのこと。

重い荷物を引きづりながら、通りかかったお店で尋ねると
「あ、それ、うちのことですよ」
お~なんて素晴らしい!
ということで立ち寄らせていただいた「上林三入」(かんばやしさんにゅう)。
(HPでは宣伝しておらず。ぜひ、宇治に行って訪れてくだされ)
江戸時代の初めからここでお店を営み、現在16代目という「上林」には、春日局やら当時の大名からの感謝状や注文書、江戸城にお茶を献上するための道中絵巻など、多くの歴史的資料を所有されている。
入場無料のこの資料館を、16代目当主の方に案内していただいた後、一階に下りて宇治茶をいただく。

宇治茶は……、ものすごい衝撃の味だった!

「ちょっと美味しい!」とか、「変わった味!」とか、「素晴らしい!」とか、「ワンダホ―!!」とか、
そんなんでは表せないくらい、「これは本当に緑茶ですか?」ってな味だった。
「これが緑茶と言うならば、では今まで飲んでいたのは何?
今まで「宇治茶」と言われていただいていたのは、あれは何?」っていうくらいの衝撃。

色は薄く、わずかにほんのりと緑茶色、だけど味はガツンと響くコクとまろやかさ。
かなりインパクトある味ながら、飲み終わった後、口にいやな余韻が残らない。
けれども、先ほどの味を口が覚えているから、「もう一煎」といきたくなる。

宇治にまで来た甲斐はあった。
いろいろ教えていただき、ついでに宇治茶も購入し、お店を後にする。


今夜の宿泊先は、「鮎宗」。
宇治川沿いの旅館に荷物だけ放り込むようにして置き、すぐ裏手の平等院へ。



確か修学旅行で訪れて、さすがに「おぉ」と感動したことだけは覚えているけれども詳細は遠く忘却のかなた。
今回改めて見学して、思いのほかの小ささに少しびっくり。
初めて見たときの感動が、記憶の中の平等院を現実よりもはるかに大きく、はるかに豪華絢爛に仕立て上げていたみたいだ。
私の記憶の中に残る平等院は結構極彩色だったから、1000年の時を経ての姿ではなく建てられた時の姿が、それを見ているはずもない私の記憶の中に刷り込まれていたのは面白かった。

極楽浄土を表していた当時の姿を、この目で見たい。


池には季節外れの蓮の花がちんまりと咲いている。



天気がすぐれぬ曇り空だがそれもよし。

平等院の裏手にはすでにすすきと萩が咲いており、秋の風情を漂わせていた。



平等院の閉園時間も迫り、敷地内には私たちしかいない。
それでもマイペースな私たち。小さな小さな白い蓮を見つけた。
蓮と言えばピンクが普通なのに、珍しいと眺めていたら、門にいた係の人が説明してくれた。
この平等院にある白い蓮は、現代のピンク蓮とは異なり、古代蓮なのだそう。
古代に咲いていた蓮をよみがえらせ、この平等院に植えたのだとか。
清々しく瀟洒な白い蓮。
今回の旅で出会えてよかった。




さてさて。
夕食はこの日の宿「鮎宗」にて。
宇治川にせり出す川床にて、刺身やてんぷら、おそばなどを美味しくいただく。
夕暮れの宇治川はまるで時代を遡ったかのような風情で美しく、日本酒のほろ酔い加減がますます対岸の朱色の橋を朧霞に煙ってみせる。



「うまうま」食べているところに、宿の人が「そろそろ鵜飼の始まる時間ですよ」と急かしに来てくれた。
「寒いですからよかったら、どてらでも着て」
「でも、お酒がまだ…」とむにゃむにゃ言っていると
「お盆貸してあげますから、ここにとっくりとお猪口を乗せて。」

宿のどてらを着て、お酒持ってフラフラと朱色の太鼓橋を渡る。
ますます時代感覚が揺らいでくる。

船に乗り込むと、私たちのお酒を見て先客たちが
「おっ!」
「いいね!」
「うらやましいね~!」
と口々に声をかけてくれた。

「えへへ~」と言いながら船に落ち着く。



これから一時間弱、船に乗って鵜飼漁の見学だ。

空はとうに真っ暗になり、空気は澄みきり冷ややかだ。
霧が煙る中、船は静かに川を漕ぎだす。

向こうからも船が一艘やってくる。
川べりでは若い女性の鵜飼師さんが説明を始めている。

まずペリカンの仲間だという鵜の首にひもをくくりつける。
これで、川に入った鵜は魚をとっても自分で飲み込むことができなくなる。



そうやって首をくくられた鵜たちは、その後川に次々と放りこまれる。
鵜飼の始まりだ。



船の先頭にかがり火をぶら下げ、その灯りの下で鵜たちが次々と鮎を獲り始める。
その流れとはこうだ。
彼らが鮎をパクッとやると、鵜飼師が目ざとく見つけ、その鵜につながっているひもをグーンと引っ張る。
船に釣り上げられた鵜は喉と口を押さえられ「吐かせます、吐かせます」という鵜飼師の声とともに、グエッと鮎を船底に吐かせられる。
そうして再びその鵜は川にポーイと放り込まれるのだ。
そうしてまたパクッとやったらグーンと引っ張られ、グエッとさせられ、またまたポーイと…。

なんとも不憫なかぎりではある。
捕っても捕っても、ちっとも自分の胃の腑に入ってこない。
「変だな~」と思いつつも何度も水の中に長い首を突っ込んでは「捕った!」
瞬間グーンと引っ張られ吐きだされるのだから。

でも、ちゃんとこの鵜飼漁が終わった後に、鵜たちはご飯をもらえるらしい。
逆にこの前ご飯を与えてしまうと、鵜たちは満足して鮎を捕らないらしいのだ。
そりゃあそうだろう。

おかげで今現在、究極腹減りまんな鵜たち。
がんばって鮎を捕り続けます。。



この鵜飼は9月から始まった。
時期的にちょうど。
見れて良かった。
小骨が多いわりに身が小さくて、今まであまり好きではなかった鮎。
これからは空腹を抱えた鵜たちを思い出して、心して食することを心に誓った夜でありました。


2009年9月19日土曜日

京都旅 その2 河原町・祇園・清水寺

京都2日目は、主に三条河原町のあたりに出没。
必要があり、朝着物を着て出かける。
髪の長さがあまりに中途半端で自分ではアップできないため、美容室でアップしてもらう。

途中、飲み物を買いに外に出て、ふと美容室入り口にひっそりと立つ碑を発見。
そこには、
「吉村寅太郎寓居跡」
の文字が。
さりげなく利用した美容室の入り口にまで、こんな歴史を感じさせるものがあるなんて…。
すぐ隣にもう一つ碑が建っていたので、こちらは?とみると、
「武市瑞山先生寓居跡」
…。
さすが京都。。

そういえば、さっきタクシーで通った通りには「池田屋」と書かれていた居酒屋があった。
飲食店で「池田屋」を名乗るとはずいぶん強気だな~と思いきや、本当に「池田屋」跡だった。
ずいぶん前に「池田屋」跡地はパチンコ屋になったと聞いていたのだが、タクシーの運転手さんの話によると、最近飲食店として生まれ変わったらしい。
まぁ、パチンコ屋より飲み屋の方がよっぽど本来の姿に近いですな。
はなの舞だけど。。
だけど、これまたタクシー運転手さん情報によると、内部の設計は東映の監修により当時の池田屋内装に似せて造られているらしい。
階段とかね。
ちょっぴり気になるな。。

そんな発見などをしながら過ぎて行った一日。
いろいろ新しい体験をできた一日でした。

あ、お昼は「月曜日のフォーク」
素敵な日本家屋でいただくフレンチ。
美味しかったな。


翌3日目は、友人2人が夜行バスで朝の6時半に私のホテルの部屋に到着。

そろって朝ごはんを食べに「イノダコーヒー店」へ。



入口付近の廊下では、3羽のインコくんがてんでんばらばらにお喋り。
ピーピーぴちゅぴちゅ、可愛かったな。
朝日降り注ぐ中で飲むコーヒーも美味し。




その後、タクシーで大徳寺。

細川忠興が造った高桐院を見る。



青々としたもみじの中に、ひとつふたつ、紅葉した葉が美しい。




人も少なく、ゆっくりと座りながら景色を楽しむ。

その後、大友宗麟の瑞峯院を観る予定だったが、残念ながら修繕中で諦める。

バスに乗って八坂神社に。
祇園でうどん屋さんに入る。

小さなテーブルをいくつか並べただけの小さなお店だが、名物のネギうどんが素晴らしく美味しかった。
いっぱいのうどんに九条ネギを9本使っているらしく、ネギのうまみと生姜のぴりりが優しいおだしの味を引き締めてる。




うまうま言いながら食べ続け、気が付いたら最後のお汁まで飲みほしていた。







最後の晩餐に何を所望するかと問われたら、迷うことなくこのネギうどんをお願いしよう。





「あんなにネギ食べたのに全然くさくないよね~」
ネギうどんと納豆うどんを食した女三人、「くさくない」と信じていたが、もしかしたらものすご~く臭かったかもしれない身をお香屋さんに運ぶ。

あれやこれやと選びながら、八坂神社を抜けて清水寺の方向へてくてく歩いていく。
途中、誘惑物だらけのお店をはしごしていたら、、
どうにも拝観時間には間に合わない気配が漂ってきた。。
それでも止まらないお店めぐり。




途中で奈良竹を使っての品を扱うお店で、茶杓と茶筅を買う。

坂の途中には、のんびり道に寝そべる猫ちゃんが何匹もいた。





野良のようだが、いたって鷹揚、毛の艶も良い。
きっと周りから可愛がられているんだろうな~






坂を登るのに疲れ、途中で宇治抹茶ミルクかき氷なんかを調子に乗って食べたりしているうちに、
本当に清水寺の拝観時間は終了し、清水寺が閉まるということは、当然周囲の観光客目当ての土産物屋も閉まるということで、気が付いたら私たちは日の暮れた三年坂にぽつねんと取り残されており…。

ふぅ。

しかたない。

また、次のときに七味は買うか、、

ということで、清水寺界隈を後にしたのでありました。



2009年9月17日木曜日

京都旅 その1  四条

京都に行ってきた。

たまたま1日のみ京都での予定が入り、「ならば…」ということで前後に自由になる日をくっつけてみた。
今回はきちんとテーマを決めようと思い、「お茶」に定める。
茶道(抹茶)と煎茶道(煎茶)に縁の深い場所を訪ねてのお勉強。
お茶仲間にその計画を話すと「いいな~!私も!」、ということで、現地で落ち合って3人で「お茶巡り」をすることになった。
すべてを周ることはできないが、少なくとも利休さんに縁の深い大徳寺と、煎茶を中国から日本に伝えた隠元禅師がひらいた宇治の黄檗山萬福寺はしっかり訪れようと、珍しくも厳密な計画を立てた。

とりあえず初日はがっつり早起きをして昼前には京都入り、
ホテルに荷物を置かせてもらって自分一人で美術館巡り!

…と思っていた計画は、朝9時に起床した時点で敢えなく玉砕…。
前夜、「宇治に行くならばこれだけはしっかり読破しなくては!」と読みふけった「あさきゆめみし」。
漫画と侮った私が悪うござんした。
一冊一冊にかなり時間がかかり、読み終わったのは夜中の三時半もまわったころ。。
浮船の独白をなんとか読み終わり、ベッドに入り、、そして寝坊。

タラタラ準備して出発し、池袋に着いた時点で「腹減った~」。
カレーライスを食して東京駅へ。

結局京都駅に着いたのは3時半。
土砂降りの外を眺めつつ、観光する意欲などどこへやら。
前日に、たまたま京都入りしていた大学時代の友人Aに電話し、二人で私の宿泊する予定のホテルに直行。

そのまましゃべくり倒し、6時半ころようやく近所のレストラン「B legumes a table」へ。
3500円のディナーコースで、前菜6種・メインを選び・デザートと飲み物。
前菜6種は美しく盛られ、そのどれもがしっかりとした味でボリューム感もたっぷり。



特に中央に置かれた野菜たちは信じられないほど美味しく、このお野菜たちだけでもいくらでも食べていたいほど!



メインの牛肉のソテーも、柔らかくておいし~い!



メインのデザート、栗のブリュレ。



コーヒーも、とても美味しくいただきました。



ごちそうさまでした!


その後、雨の上がった夜の京都の街をお散歩お散歩。

ぐるぐる横道を入ったり、大通りに出たり、さまよいながら四条から二条城まで辿りつく。

なかなか気持ちの良いお散歩ながら、改めて戦火にやられていない街並みは美しいな~と思う。
東京は汚い汚いと思い続け、現代人のなんと悪趣味なことよと嘆いてきたけれども、やはり歴史が連続して流れる街の景観は、新旧入り交ざっても違和感のない情緒を醸し出しており。。
古い木造りの町屋の隣に、たとえ新しいマンションが建てられていたとしても、
そこは不思議に調和がとれており、これはこれで良いのかなと思ってしまう風景がいくつもあった。
おそらく新しいマンションを建てる折にも、デザインや色彩の面で周囲と調和するよう、様々な配慮を払っているのだろうけれども。


浅草に住むお茶の先生から、先日、終戦間際の東京大空襲で隅田川付近を逃げ回った話を伺った。
疎開先からたまたま帰ったその日に空襲を受けてしまった話、先生と妹、お母さんとおばあちゃんで逃げ回った話、小学校に逃げ込みたかったけれども道が混乱しすぎて行きつけなかった話、けれども、後になってみればその小学校に逃げた人はすべて焼かれてしまった話などなどを聞いた。
当時の財産はすべて失い、それでも命は免れたのだからありがたいと思わなくてはならないと仰っていた。
けれども、小さい女の子の時分に誂えてもらったお雛様一式だけは、今でも取り戻したいと叶わぬ願いを抱いてしまうこと、せめて写真だけでも見たいと思うけれどもそれもなし。

本当に戦争はすべてを奪ってしまう。。

先生の持ってらっしゃるお道具の中には、当時の戦火で形が変形してしまったものもある。


京都の夜の街をそぞろ歩きながら、そんな話を思い出していた。


2009年9月11日金曜日

卒業



3年間勤めた職場を卒業した。

ライター業との二足の草鞋が続いた日々。
「派遣」ながら、ずいぶんと我儘な勤務形態を許してもらった。

本来なら三カ月更新のところを一カ月更新にしてもらったり、やっぱり三カ月に戻してもらったり、
週三日きんむにしてくれと言ったり。
「一週間休みくれ」と言ったり、挙句その二週間後には「今度は夏休みを…」と言ったり。。

本当ひどいもんですな。。


そんな我儘な私を許してくださった職場の方々に心から感謝です。

実際、ここでの日々がなかったら、たぶん今の私はいないと思います。

か、もっと別の私になっていたと思う。

本当ここに三年間いれて良かったです。


みんなみんな、どうもありがとう!