2008年7月26日土曜日

多摩全生園

子供の頃、よく遊びにいった場所がある。

広大な敷地に、美しい自然。
清々しい空気の場所だった。

学校帰りに友達とお散歩。
時には家から自転車で出かけ、長い道を思いっきり疾走。
春には近所の家族と一緒に、満開の桜の下でお花見もした。

長い塀に囲まれたその場所の、大きな門はいつでも外に向けて開かれていた。

しかし私たちが、「ぜんせい園」とだけ呼んでいたその場所が、そもそもは何のための敷地だったのか。
知ったのは大分後になってからだった。

「多摩全生園」。
これが、私たちの「ぜんせい園」の正式名称。
正しくは、今は「ぜんしょう園」と呼ぶ。
この施設は明治42年に設立された、ハンセン病療養所である。


今でこそ、原因も治療方法も分かったこの病。
昔は遺伝・感染する恐ろしい病と考えられていた。
発症すると時に皮膚の一部が変形したりするのが、ますます人々の恐怖心を煽った。
近くにいると感染する…。
家族間で遺伝する…。

間違った知識は、偏見も生み、感染者が長い間厳しい環境で生きてこなくてはならなかったのは、
日本でも、そのほかの国々でも同じである。
ヨーロッパ中世の民衆社会を描いたピーター・ブリューゲルの絵画にも、
ハンセン病患者と見られる人物が多く描かれている。
日本では、明治からの長い間、国による隔離政策が取られてきた。
その一環として設立された施設のうちのひとつが、この「多摩全生園」であり、
同様の施設は他にも全国に存在する。


昔行った、お花見の夜。
自転車で敷地のグルリを走った時。
友達と歩いていて、そこで生活していたおじいちゃんに「新じゃがだよ。」とお芋をもらった時。
確かに私は、そこで生活している人々を見てきたはずである。

何も気付かなかったのは、不思議なくらいである。
しかし、子供とはそのようなものなのかも知れない。
見えてなかったのか、それとも見えてても特別には何も思わなかったのか…。

それでもあの時もらったじゃが芋を、わくわくしながら持って帰り、
母に渡して、
「新ジャガだって!…シンジャガって何?」
と聞いたときのこと。
ほくほくに茹でてもらい食べた時の、特別感。

確かに「シンジャガ」は、普通のジャガイモとは違う。春の味だ、と確信した時のあの味は忘れられない。
私にとって「全生園」の名は、春の「新じゃが」と必ず結びついた記憶なのである。


来年で「全生園」は100年を迎える。
入所者自治会は、ここの自然と施設を残すための「人権の森構想」を進めているという。
長い差別の歴史の中、故郷に帰ることもままならず、長い時間をここで過ごしてきた人々も
今は平均年齢が80歳に達するという。
彼らはまた、広大な土地にたくさんの木々を植林し、美しい武蔵野の森を守ってきてくれた人々でもある。

私が子供時代に散策して、その美しさを心に刻んだ木々も、
そして花見を楽しんだ桜の木々も、もしかしたら入所者の人々が植えてきた木々なのかもしれない。

「人権の森構想」は映画監督の宮崎駿さんの提案から発展したものだという話だ。
彼はちょうど、映画『もののけ姫』を製作しているときに初めてこの「全生園」に足を踏み入れたと回想している。
『もののけ姫』にでてくる、エボシ御前の下で働く包帯をまとう人々のイメージも影響があるのかもしれない。

地域の住民からも協力者や団体が出て、様々な活動を行っているという。
近隣の小学生や幼稚園がここを訪れ、入所者の人々との交流を行っているという話だ。

昔の私と同じように、新じゃがをもらったりしているのだろうか。
あるいは、皆で掘っているのかもしれないな。



 多摩全生園について:http://www.hosp.go.jp/~zenshoen/
 ハンセン病について:http://www.mognet.org/hansen/index.html
 宮崎駿氏の言葉  :http://www.hikoboshi.com/eba/inori/inori103MiyazakiHayao.htm

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