子供の頃、よく遊びにいった場所がある。
広大な敷地に、美しい自然。
清々しい空気の場所だった。
学校帰りに友達とお散歩。
時には家から自転車で出かけ、長い道を思いっきり疾走。
春には近所の家族と一緒に、満開の桜の下でお花見もした。
長い塀に囲まれたその場所の、大きな門はいつでも外に向けて開かれていた。
しかし私たちが、「ぜんせい園」とだけ呼んでいたその場所が、そもそもは何のための敷地だったのか。
知ったのは大分後になってからだった。
「多摩全生園」。
これが、私たちの「ぜんせい園」の正式名称。
正しくは、今は「ぜんしょう園」と呼ぶ。
この施設は明治42年に設立された、ハンセン病療養所である。
今でこそ、原因も治療方法も分かったこの病。
昔は遺伝・感染する恐ろしい病と考えられていた。
発症すると時に皮膚の一部が変形したりするのが、ますます人々の恐怖心を煽った。
近くにいると感染する…。
家族間で遺伝する…。
間違った知識は、偏見も生み、感染者が長い間厳しい環境で生きてこなくてはならなかったのは、
日本でも、そのほかの国々でも同じである。
ヨーロッパ中世の民衆社会を描いたピーター・ブリューゲルの絵画にも、
ハンセン病患者と見られる人物が多く描かれている。
日本では、明治からの長い間、国による隔離政策が取られてきた。
その一環として設立された施設のうちのひとつが、この「多摩全生園」であり、
同様の施設は他にも全国に存在する。
昔行った、お花見の夜。
自転車で敷地のグルリを走った時。
友達と歩いていて、そこで生活していたおじいちゃんに「新じゃがだよ。」とお芋をもらった時。
確かに私は、そこで生活している人々を見てきたはずである。
何も気付かなかったのは、不思議なくらいである。
しかし、子供とはそのようなものなのかも知れない。
見えてなかったのか、それとも見えてても特別には何も思わなかったのか…。
それでもあの時もらったじゃが芋を、わくわくしながら持って帰り、
母に渡して、
「新ジャガだって!…シンジャガって何?」
と聞いたときのこと。
ほくほくに茹でてもらい食べた時の、特別感。
確かに「シンジャガ」は、普通のジャガイモとは違う。春の味だ、と確信した時のあの味は忘れられない。
私にとって「全生園」の名は、春の「新じゃが」と必ず結びついた記憶なのである。
来年で「全生園」は100年を迎える。
入所者自治会は、ここの自然と施設を残すための「人権の森構想」を進めているという。
長い差別の歴史の中、故郷に帰ることもままならず、長い時間をここで過ごしてきた人々も
今は平均年齢が80歳に達するという。
彼らはまた、広大な土地にたくさんの木々を植林し、美しい武蔵野の森を守ってきてくれた人々でもある。
私が子供時代に散策して、その美しさを心に刻んだ木々も、
そして花見を楽しんだ桜の木々も、もしかしたら入所者の人々が植えてきた木々なのかもしれない。
「人権の森構想」は映画監督の宮崎駿さんの提案から発展したものだという話だ。
彼はちょうど、映画『もののけ姫』を製作しているときに初めてこの「全生園」に足を踏み入れたと回想している。
『もののけ姫』にでてくる、エボシ御前の下で働く包帯をまとう人々のイメージも影響があるのかもしれない。
地域の住民からも協力者や団体が出て、様々な活動を行っているという。
近隣の小学生や幼稚園がここを訪れ、入所者の人々との交流を行っているという話だ。
昔の私と同じように、新じゃがをもらったりしているのだろうか。
あるいは、皆で掘っているのかもしれないな。
多摩全生園について:http://www.hosp.go.jp/~zenshoen/
ハンセン病について:http://www.mognet.org/hansen/index.html
宮崎駿氏の言葉 :http://www.hikoboshi.com/eba/inori/inori103MiyazakiHayao.htm
